明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『正直安兵衛観音経』 麗々亭柳橋

 

1891年(明24)三友舎刊。2年後の1893年(明26)に書名のみ「恩と情」に差し替えて中村鐘美堂から刊行されている。本文・挿絵ともに同一物。

明治期の東京の落語界には二大流派、三遊亭円朝を初めとする三游派とこの麗々亭柳橋(れいれいてい・りゅうきょう)の柳派があった。円朝の方は明治20年頃から手広く口演の速記本を出して人気を得ていたが、柳橋も数は少ないが同様に速記本を出している。麗々亭柳橋名跡は江戸時代から続いており、この時期に活躍したのは四代目になる。三游派は人情話、柳派は滑稽話という多少の色分けがされていたらしいが、つまり円朝のほうが当代(つまり明治)物や翻訳物を積極的に手がけたのに対し、柳橋は伝統的な演目を狂歌や川柳を交えて、落語家らしい語り口で進めている。

 奥州白河在の正直安兵衛は領主へ納める御用金を託されて江戸に出るが、慣れない雑踏の中で掏り取られたので、身投げするところを助けられ、大金も用立ててもらうという大恩を受ける。その恩人が盗賊の小鼠吉五郎であることを知り、帰郷して石塔を建て、日頃念仏を唱えて本人の成仏を祈る。その甲斐あってなのか、吉五郎は生き永らえて出家し、安兵衛に再会する。これが本筋なのだが、むしろ脇筋の茶屋の美人娘を巡る恋愛悲話のほうが幸不幸の定まらぬ人生縮図を見せてくれた。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は邨上豊貞。

dl.ndl.go.jp

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《「語るなと人に語れば其の人が又た語るなと語る世の中」良い事は知れないが不良(わるい)事といふものは早く知れるもので、寝て仕舞へと云ふと話をして起きております、寝ちゃア往(いけ)ないといふと居眠りをする、此の事を向ふへ話してお呉れといふと屹度(きっと)忘れる、此ンな事を云っちゃア往(いけ)んといふと屹度(きっと)陰で喋舌(しゃべり)たがる、殊に人は僻心(ひがみごころ)の者で御座いますから》(第五席)



《爺さんが三人集(よっ)たといふお話が御座います。最初の爺さんのいふには「あの世には往(ゆ)かで叶はぬものなれば八十八を過(すご)しての後(の)ち」。二人目の爺さんが「あの世から少しも迎いに来たならば九十六まで留守と答へよ」。三人目の爺さんが「留守なれば又も迎ひに来るであろ一層忌(いや)だと言いきってやれ」。幾ら御年を老(とっ)ても死にたくないと云ふのは人の当然(あたりまへ)。》(第八席)

 

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