明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『清水次郎長』 神田伯山

 

1924年(大13)武侠社刊。神田伯山の名演とされる筆記本で、当時は3巻で出されていたが、国会図書館のデジタル・コレクションには版元を改善社に変えた2巻目までしか収容されていない。講談は書かれて書物となった途端に文芸となると思う。歴史的に実在した侠客の一代記で、講談に取り上げられる頻度も高く、類書も極めて多い。江戸後期には各地で賭博が横行し、その土地ごとの侠客たちはその上納金で勢力を保ち、拡張した。今で言えば「反社会的勢力」なのだが、時には奉行から十手を預り、捕物に協力するなどの役割もあった。清水次郎長の場合は、物語における事件や抗争のメリハリが効いていて、行動原理となる義理や人情に命を賭ける潔さが民衆にも好意的に受け入れられたのではなかろうか。親分子分の人間的交流や個性の発露も読んで痛快と感じる要因でもあった。最後の山場の「荒神山の決闘」については春江堂版の無記名の演者の冊子を読んだ。☆☆☆☆

 

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は鈴木綾舟、および山本英春。

dl.ndl.go.jp

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《お釈迦様が嘘も方便といふ事を云って居る。人の為になる嘘なら云っても宜いといふんだ。如何に正直が宜いと云って、真正(ほんとう)の事を云ったが為めに其の人が迷惑になるやうな事は云っちゃァいけねえ。さう云ふ時には嘘を云っても、其の嘘の価値(ねうち)があるんだ。親分が酒を飲まずに使へに行って来いと云ったら、ヘイ宜しうございますと受合って宜いんだ。家を出てから半日ばかり酒を飲まずに居て、又帰って来る日も半日ばかり酒を飲まずに居れば、誰も尾行(つい)て行く訳ぢゃァねえんだから途中で飲んだって分りゃァしねえ。其の代り成るべく五合飲む処は、三合、三合の処は二合といふやうに内端に飲むんだ。》(第十二席)

 

 

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