明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『田鶴子』 篠原嶺葉

 

1909年(明42)如山堂刊。篠原嶺葉(れいよう)は尾崎紅葉の門下生の一人。生没年は不明。この『田鶴子』は恩師紅葉の死の6年後に完成。その霊に捧げられた。ヒロインの田鶴子は20歳の女子大生。母を早くに亡くし、旧軍人の父親と継母とその娘と一緒に暮らしているが、遊蕩者で知られる若い伯爵家からの縁談を拒絶したために姦計にかかり、新聞に実名入りの不純交遊を報じられて勘当される。自然主義文学であれば、その生活苦から身を持ち崩し、転落していく話になるのだろうが、彼女の場合は生きることに真摯に肯定的に向かって、当時は珍しいヴァイオリン教師として下宿暮らしを始めていく。言文一致体の定着期であるためか、下例のように金魚の糞のような長文が多い。しかし読みにくいというほどでもない。また少女小説のような意地悪な競争相手の女から足蹴に近い侮辱も受ける通俗性も目立つ。彼の作品の根底にあるのは、地道な正直者たちは報われるという人生への肯定的な姿勢だと思う。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は野田九浦。

dl.ndl.go.jp

 

《だから寧(いっ)そ一思(ひとおもひ)に死んで苦労を免れやうかとまで思ひ詰ても見たけれど、折角現世(このよ)に生(うま)れて来ながら、何一つ人間の務(つとめ)を為(し)ない上に、那麼(あんな)有も為(し)ない事を新聞へ出されて、ご両親へまで御迷惑をかけながら、このまゝ死んで了うと云ふも残念だと思って、彼(あ)の晩一晩旅宿(やどや)の床の中で考へ通して夜を明したけれど、どうあっても汚名を雪(そそ)がないでは死ぬにも死なれない心がするので、死んだ気になって辛抱為(し)て見やうと、死ぬ事だけは思ひ止ったけれど、お金子(あし)だって沢山に持ってる理(わけ)ぢゃなし、遅々(ぐづぐづ)してると食(たべ)て行く事が能(でき)なくなるから、何なりと職業(しごと)を始めて、少しづゝでもお金子(あし)を儲けやうと思ったけれど、差し当ってこれと云ふ職業(しごと)がないもんだから、為方(しかた)なしにヴワヰオリンでも教へやうと思って、》(三十の二)



*参考ブログ:神保町系オタオタ日記

紅葉門下篠原嶺葉の末路 2010.08.25

 

 

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