明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『第二の接吻』 菊池寛

 

1925年(大14)改造社刊。当時、内務省の検閲により発禁図書とされた。このデジタルコレクションではかつて発禁本として保管されていたものを公開している。数カ所で風俗紊乱的表現と指摘された個所には朱筆の跡が残っている。下記にも一部引用したが、当時としてはかなり踏み込んだ赤裸々な表現があり、煽情的と見なされ、版の改訂を余儀なくされたらしい。当初は朝日新聞に連載されていたが「接吻」というタイトルからしても非常に大きな評判を呼び、映画化や舞台化もされた。

代議士邸に居候する大卒の会社員村川は、ふとした事から邸内に寄寓する倭文子(しづこ)に恋情を抱く。しかし代議士令嬢の高慢で勝気な京子も村川を愛し、三つ巴の騒動に発展する。「接吻」という愛情表現の行為がここでは重要な物語の転換点となっている。一番気になるのは、親を亡くして親戚の世話になっている娘がどのような人生を送るつもりなのかが見通せず、漠然と良縁に従って嫁入りを待つ姿勢なのが哀れだ。自由に生きることが女性にとっては厳しすぎる時代だったのかもしれない。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。内務省検閲発禁図書の表示あり。

https://dl.ndl.go.jp/pid/10297583



 

《恋愛関係において、一番楽しい瞬間は、恋人同志が、その思ひをうち開けて、最初に手を取り合った時だといはれている。それはあらゆる楽しい希望を含み、しかも少しも性的な陰翳を持ってゐない無垢な歓楽の頂上かも知れない。(・・・)一歩を進めて、恋人同志が最初の接吻に魂と肉とをかたみにふるはせた瞬間こそ、一番楽しい瞬間だといっても、誰も抗議する人はないだらう。》(最初の接吻)



《かうしてすれずれに坐ってゐると、京子の処女らしい香ひと魅力とで、なやましくなってしまふ。彼は着物を通じて、彼女の両肩や乳房のあたりのはり切った水々しい肉体になやまされるのだ。白い頬など、つやつやして輝いてゐる。その上に、彼女に見る女性としての品位、尊厳、それは、金力の前に媚を売る女性などには到底見られない精神的装飾だ。さうした品位や尊厳や、処女としての羞恥を一枚々々はいで、さうして彼女のあらゆる真実を自分のものにするのでなければ、女性猟人の対象としては、面白くないのだった。》(詰問)



《倭文子(しづこ)の真赤な小さい唇が現れた。村川は、それにすばやく接吻した。最初はそれを拒まうとした倭文子の抵抗は、すぐ止まって、二人は凡ての心と魂とを、めいめいの唇にこめたやうに、長い強い接吻をした。その後に、不安とその不安を圧倒しつくしたやうな歓喜とにつかれた二人は、しばらくだまってゐた。》(ある結婚)373頁朱筆部分



※参考論文:『第二の接吻』あるいは『京子と倭文子』 

日本芸術大学教授 志村三代子 (2006.01)

https://core.ac.uk/download/pdf/144457746.pdf



※関連記事:『有憂華』菊池寛

https://ensourdine.hatenablog.jp/entry/2022/10/04/191532

1932年(昭7)春陽堂



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