1930年(昭5)新潮社刊。新潮長篇文庫第3編。表題作の中篇の他、『地獄禍』の中篇と『笠井博士』の2つの短篇を収録。関東大震災後の復興期にあたる昭和初期の東京の風俗描写が新鮮に見えてくる。特に冒頭の渋谷の道玄坂の泥濘の道を歩く謎の女の姿は印象深い。公衆電話ボックスも現在ではほとんど姿を消したが、当時は「自働電話の箱」という呼称で、交換手を経由して通話していた。ミステリーの初期らしく、登場人物も限られ、まるで演劇の舞台で少数が演技している中に謎解きが行われる簡素さが特徴的だ。やはり表題作が秀逸だと思えた。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1226170
表紙絵は山名文夫。
《人通りの激しい、帝都でも何番目と指を折られてゐる繁華な道玄坂の一角にある自働電話は反って人目を忍ぶに屈強だ。(…)快よい朝日が道玄坂を一面に照らしてゐた。自動車や荷馬車が未来派の絵のやうに歪みながら通り過ぎた。そっくり同じ服装(なり)をした女学生が二人、足並を揃へて、軽々とセルの袂(たもと)を翻(ひるが)へして、小形の華奢な日傘を傾けながら、さっさと私の前を通り過ぎて行った。》(一)
昭和初期の「新潮長篇文庫」の広告には、後年名を残す作家とともに、当時だけで以後忘れ去られた作家の作品も掲載されていて、まるで 90年前の新刊情報に接したようなタイムスリップの新鮮味を感じた。(ほとんどは国会図書館デジタル・コレクションで閲覧可能)