明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『女群行進』 浅原六朗

 

1930年(昭5)新潮社刊。新興芸術派叢書10。表題作の他、短篇13篇所収。作者は大正から昭和初期にかけての新興芸術派の一人としてモダニスム(=都会における風俗習慣や生活様式の現代化)風景を斬新な感性で描いている。当時の唯物論思考の流行によるものか、即物的な感情に左右されて行動する男女は、自己方向性が見えず、かえって俗物的な心情が目立つ気がする。特に女たちの積極的な行動に対して男たちが衝動的に反応する場面が多いのに気づかされる。自伝的な要素として教会関係者の言動が各篇の所々に出てくる。また踏み込んだ愛情描写には多く伏字xxが用いられ、それが想像力を搔き立てる点ではむしろ大きな威力を感じる。全般的には風俗の珍しさもあって印象深かった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3430356

 

 

《凡てのサラリーマンは事務的には勤勉であるが、気持は常に怠惰である。この怠惰は、金銭と女に方向を向けて、偏見と嫉妬で渦巻きを巻くのである。》(女群行進)

 

《大正の末期から昭和の年代にかけて、日本の思想界は、急速度テンポの躍進期にあった。で、この思想界の変動は、もちろん時代人の精神内容に、また生活現象に変化をあたへた。時代人は、急速度に疾駆するマルキシズムに感染してゐた。それが反動的であるか、協調的であるか、雷動的であるかは別として。そのために隠蔽されてゐた社会制度の欠陥は益々暴露し、道徳は組織のなかから壊れはじめようとし、或は壊れはじめてゐた。(…)この激動の中で、僕は過去の浪漫派から離脱して、生活的には資本主義の経済機構のなかで月給とりであることを余儀なくされ、思想的には、その変転のなかで、変態的に感染してゐた。》(女群行進)



《最近代の青年一般は、すでに恋愛を否定する傾向の域に入ってゐる。唯物主義の思想が勢力を占めてゐるかぎり、唯心的な恋愛は否定さるべきであらう。それに現在の私自身が、またこの女自身も、恋愛に対して全く不感症の生活人になってきてもゐるのである》(青きドナウ)

 

《「ぢゃ、強くxxxてよ。強く、力いっぱいにxxxてよ。」

(…)女はやうやくそれにxxし、熟しきった媚情を聖壇の前で氾濫させるのであった。》(青きドナウ)

 

 

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