明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『新編坊ちゃん』 尾崎士郎

1938年(昭13)雑誌「日の出」連載。

1939年(昭14)新潮社刊。

1954年(昭29)山田書店刊。

1956年(昭31)20世記社刊。

 

これは名作『坊ちゃん』の後日談の形を取っている。主人公「坊ちゃん」は失職し、豆腐屋の2階に下宿していたが、生活に困窮している。そこに「山嵐」が突然現れ、中国の大連の会社での仕事に誘う。登場人物の性格設定が既になされているので、なじみの人物が別天地の環境でどう行動するのかだけを見守ることになる。外地で偶然にも「赤シャツ」や「野だいこ」にもちょっと再会するが、単なる同窓会風では面白味がないのを作者はわかっていて、「マドンナ」のような役割の女性や、ひと癖のある「平家蟹」「シャコ」「一夢」などの人物たちを別に揃えて新しい物語を築いていく。発表時は軍国主義の風潮が強まっていたのだが、これだけの闊達な作品に仕上げられたのも作者の気骨だったのだと思う。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1643638

表紙絵は鈴木信太郎ほか。



「おれは出世しようなぞとは夢にも思ってゐないよ、――金を儲けるのもいいし、会社の重役になるのもいいが、それよりもおれは立派な人間になりたいんだ、おれは人を欺したり、自分を偽ったりしてえらくなるよりも、自分の考へどほりに生きた人間が、この世の中で一ばんえらいと思ってゐるんだ」(哀れとおもへ)



《英雄に英雄の本領があるとすれば悪党には悪党の本領があるし、色魔には色魔の本領があるのだ。赤シャツが最初から私は赤シャツです、といふ面構へで出てくるなら誰ひとり文句をいふものはあるまい。悪党の癖に聖人の真似をしたり、色魔の癖に君子のやうな面をするから話がややこしくなってくるのである。》(月は明るく)

 

 

《「私は」と、八公が突然咽喉からしぼりだすやうに叫んだ。「みな様の御好意は決して忘れません。いかなることがあっても必ず」

 眼をパチパチと動かしてから、「生きてかへってきます」

 何だか妙だな、――といふ気もちが誰の胸にもすぐひびいたらしい。そりゃあどんな男だって生きたいにはきまってゐるが、しかし、死の覚悟を持って出てゆくことが出征軍人の本領でなければなるまい。そいつを自分から「必ず生きてかへってきます」といってケロリとしてゐるといふ法はない。しかし、みんな緊張しきってゐるので笑ふやつもなければ怒るやつもなかった。》(長城のラッパ卒)

 

 

 

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