1954年(昭29)同光社刊。
1956年(昭31)同光社刊。同内容だが書名は『お千代舟の女』に変えて出版。
1955年(昭30)鱒書房刊、「捕物小説集第1」に「紅勘殺し」を所収。
1961年(昭36)12月、雑誌「小説俱楽部」臨時増刊号に「廓言葉」を再掲載。
「みずすまし亭通信」さんのブログ記事に影響されて読んだ。
江戸文政年間に実在した人物をもとにした女捕物帖15篇。捕物名人おかくは、若後家ながらも火消人足の采配をする鏡屋一家の元締を受け継いでいる。子分のカマキリの安蔵と共に、あくまでも岡っ引の手伝いという名目で推理を働かせて事件を次々と解決する。美人ながらも身持ちは堅く、自身の内股に蟹の刺青をして戒めとしたという。事件の推理と解決には気が抜けるほどあっさりと到達するが、作者の江戸情緒たっぷりの描写、古川柳や義太夫への造詣など、闊達な語り口がじわりとした魅力を放ってくる。ただし、一話ごとに自慢話を聞かされるように、おかくの身上話が繰り返されるのにはいささか閉口した。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1355157/1/3
https://dl.ndl.go.jp/pid/1356862/1/63
https://dl.ndl.go.jp/pid/1790508/1/193
《捕物小説の主人公を女にしましたのは、異色をねらった売らんかな意識です。それに、わたくしは年増の色気を好みます。》(鱒書房版・捕物小説集第1、あとがき)
《犯跡をかくしてしまいたいという気もちは、誰それを殺そうと考える時から計画されている。殺すという行為が、他人を殺すことによって、自分が生きようとする場合が多いからだ。》(古着屋の娘)
《人は誰でも、自分が正しければ正しいほど――正しく生きていると、信じていればいるほど、邪悪に対して怒りを発する。》(そば切包丁)