1958年(昭33)東京文芸社刊。
1961年(昭36)12月、雑誌「小説倶楽部」臨時増刊号に「三尺の墓」のみ再掲載。
高木彬光の生み出した探偵のうち最も有名なのは神津恭介だが、別の私立探偵、大前田英策の活躍する作品も少なくない。大前田という苗字は江戸時代の上州(群馬)の有名な侠客、大前田英五郎に由来し、その子孫だという。(それ以上の詳細は控える)
表題作の「三尺の墓」の他に「二十五歳の赤ん坊」など5つの中短篇を収める。血筋を反映して人情に篤い大前田の個性を軽妙なタッチで描いている。広い意味での「身代わり」トリックが頻用されている。また凡人からすれば一見何事もなく結着したと思える事件でも、重箱の隅をつつくように蟻の這い出るスキ間や不整合を見つけていく腕前はほどよく出来ていると感じた。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1646940/1/3
https://dl.ndl.go.jp/pid/1790508/1/30
雑誌掲載時の挿絵は堂昌一。
《有名な侠客大前田英五郎の血を引いているだけに、英策は色こそ浅黒いが、彫りの深い男性的な容貌の持主である。》(掌は語る)
《大前田英五郎以来五代目、男子の一言金鉄のごとしというのは先祖伝来の家訓ですよ。》(二十五歳の赤ん坊)
『神秘の扉』 高木彬光