明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『地上の星座』 牧逸馬

地上の星座:牧逸馬

1932年(昭7)5月~1934年(昭9)5月、雑誌「主婦の友」に連載。

1934年(昭9)新潮社刊。

丹下左膳」の作者として有名な林不忘は、牧逸馬という別の筆名を使って昭和初期の現代小説家として多様なジャンルを跨いだ言わば「天衣無縫な」文人だったと思う。この作品は、明治期の菊池幽芳や渡辺霞亭などによる家庭や家柄の悲劇を描く伝統を継承しており、2カ年にわたる連載というかなりの長尺の昭和期の家庭小説だった。丁寧な経過描写の積み重ねは油絵の絵具の塗り重ねに通じる重厚感があった。

 

地上の星座:牧逸馬、林唯一・画

老練な政治家の令嬢として何不自由なく育った瑛子、その家に書生として寄宿する慎介、その友人で地方の素封家出の秀才の彰夫、そして苦しい生活ながら慎介に思いを寄せる小夜子という2組の男女を中心に、恋愛心情の転変を描いている。特に階級格差を思い知らせるような局面から、子供の出生の秘密、そして形勢の大逆転劇に至る展開はよく練られていた。人は貧困状態にいると立振る舞いが謙虚になるが、裕福になると高慢な心情に変わるというのも、それだけ自分を含めた凡人はなかなか修練できないものかと心に刺さった。☆☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1238354

口絵・挿絵は林唯一。

 

地上の星座:牧逸馬、林唯一・画2

《その後何年も、何十年も経った後までも、慎介と暎子は、この、当時有吉家の住んでゐた田端の邸の庭隅で、人目を憚って語り合った此の日のことを想ひ出す度びに、必ず、この、油を炒るやうな陽ざかりの蝉の声が、耳の底に甦って来るのだった。まるで昨日のことのやうに――咽せ返る草いきれと、夾竹桃の花と、椎の木と、そして、この初蝉の音と。》(初蝉)

 

《紫陽花色の空をくっきり区切って、白亜の高楼の頂きは、直線の美である。丸の内仲通りの事務所街、ふと見る鉄筋コンクリートの窓辺に、いかなる優しい人の徒(すさ)びであらうか、小さな冬薔薇の鉢植ゑが、忘れられた泡のやうな花をつけて、滑るがごとき自動車の番号札に、白じらとした薄陽の反射が、きらりと眼を射る。街ゆく女のショウル姿も、めっきり冬めいて、明治節もほど近い、もう、何時(いつ)とはなしに十一月の声を聞く。》(蜘蛛の色糸)

 

《男と生まれ、女と生まれて来て、千万人の中で、夫と呼ばれ、妻とよばれる。よくよくの縁あればこそである。夫婦というものは、実に涙ぐましいものだ。どんな微妙な心理も、互ひに通はずには置かない。一方が心ひそかに思ってゐることは、必ず何かの言動の端はしに、恐ろしいほど直ぐ相手に伝はる。故に、夫婦の間では、五分、一寸のへだたるが、瞬くうちに百里千里の心の距離を呼ぶものである。》(抽斗を開く)

 

地上の星座:牧逸馬、林唯一・画3

《天上には、一定の星の運行(めぐり)がある。これを星座といふ。ならば、まことの愛によって結ばれた夫婦こそは、地上の星座ではあるまいか。天の星座を移す人の力は無いやうに、たましひによって一なる夫婦は、何人も動かすことの出来ない地上の星座だ。一度(た)び離るヽと見えた地上の星座は、こヽに、元へ戻ったのである。》(夢また夢)



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