1946年(昭21)8月~11月、雑誌「りべらる」連載。
1951年(昭26)講談社刊、「猿飛佐助」(講談社評判小説全集第5)所収。
1955年(昭30)平凡出版刊、「薔薇の紘道館」(平凡映画小説シリーズ)所収。
1964年(昭39)双葉社刊、「明治の風雪」(双葉新書、時代小説全集13)所収。
初出は終戦直後の雑誌「りべらる」に4回連載された鹿鳴館時代を背景にした中篇小説。鹿鳴館は日本が幕末に列強と締結した治外法権等の不平等条約を改正する目的で、日本がいかに西洋風の文化を取り入れるに至ったのかをアピールする施設として建てられ、連日舞踏会やパーティが開かれた。並行して華族令(1884年、明17)も制定され、公侯伯子男の爵位も定められた。その実態は猿芝居、茶番劇にも例えられ、冷やかに受けとめられたようだ。
清楚なヒロインの伯爵家令嬢まり子は元々足が不自由で松葉杖が手放せない。バザーで売店を担当するが売れない。貧乏子爵の息子正則が友人と共に訪れ、ふとしたやり取りから気心が通じる。しかし彼女はその放蕩者の友人とすでに政略的な婚約をしていた。上辺とは異なり、西洋風の自由恋愛や姦通はあり得ず、真の恋に目覚めた二人は為すすべなく追いつめられる。悲恋情話と言えばあっけないが、いじらしい。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12851556/1/18
https://dl.ndl.go.jp/pid/1659593/1/124
https://dl.ndl.go.jp/pid/1665859/1/99
https://dl.ndl.go.jp/pid/1672035/1/126
雑誌連載時の挿絵は林唯一。
《新華族令で爵位を与へられ、七歳にして席を同じうしなかった男女関係の禁制が破られ、自由交際が突然に与へられたのである。さながら、禁制品が解除になって売り出された様に彼等は女性に立ち向った。なにがなんでも男女自由交際である。だあから、彼等はダンスを覚え、これはと思ふ女性に接近することだけが生活の全部になりつゝあった。》(鹿鳴館バザー)
《だが二人は死にに行く心算(つもり)はなかった。死に襲はれるまでは。そして、死は、別の言葉で言へば死神は不意に人間の心を訪問し、これに抵抗を許さず決定的なものにするのである。》(捨て小舟)
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