1948年(昭23)高志(こし)書房刊。
1951年(昭26)桃源社刊。
土師清二は昭和初期から戦中、そして戦後にかけて息の長い作家活動を続けた。特に戦後の捕物帳ブームの火付け役となった捕物作家クラブの副会長として(会長は野村胡堂)積極的に関わり、何人もの捕物名人を生み出した。この『紅太郎捕物帖』は当初少年向けの捕物小説4篇として書かれたが、その後桃源社から一般の単行本『紅太郎捕物帳』として、伝七物1篇と単発の別の捕物作1篇を併収して出版された。
主人公の錺屋紅太郎(かざりや・べにたろう)は八丁堀与力甲賀将介の配下の岡っ引だが、普段は錺職人として神輿や寺社の錺金具を作っていた。弟子の少年長吉と同居していて、事件が起きれば二人で出向いた。長吉には吹き矢という秘技があり、その技が身の助けとなることも多い。江戸っ子の言葉遣いの荒さのせいか、怒鳴ったり、𠮟りつける口調はキツイのだが、長吉は平気で受け流している。隣家の娘おきくも気立てが良く、おおらかで、これも叱られてもめげずに世話をしてくる。テンポの速さと描写の簡潔さが小気味良かった。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/8347162
https://dl.ndl.go.jp/pid/1352844
表紙絵・口絵・挿絵は山口蒋吉郎。
桃源社版の表紙絵は木俣清史。
《錺職(かざりしょく)が本職の紅太郎は、その道でも名人といはれ、鏨(たがね)と槌(つち)を持たせれば、江戸八百八丁、指折りの内に数へられる腕だった。》(踊る一寸法師)
《変屈者で、家は長吉と二人きり、女房もゐなければ他に弟子もない紅太郎だ。何時も家を閉めて出かけるのだった。》(踊る一寸法師)
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