1956年(昭31)6月~1957年(昭32)3月、雑誌「知性」連載。
1963年(昭38)河出書房新社刊、Kawade paper backs, 28
戦中期の女学生の体験を思い出しながら、戦後の復興期を一家庭の主婦として生きる貞子の目を通して綴られる日常風景。平板で、ごく当たり前の些事を淡々と日記のように記録している。これをわざわざ小説本として読まなくてもいいような気にもなる。これが人生の真相であると言うなら、人は人生という旅をする人であり、そのちっぽけな喜びこそが生きる喜びなのだ、ということになる。戦後を小児として育った者として、金も物もまだ不十分だった時代のほのかな記憶は優しく、懐かしい。☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3557399/1/141
https://dl.ndl.go.jp/pid/1649557
雑誌連載時のカットは石川滋彦、野口弥太郎。
《彼女の夫が歩いて帰って来るところは、真面目な勤め人が少ない月給でよく今日一日を勤め上げたという感じが現われていた。顔は正面を向いてはいるが、何か物を考え込んでいるような表情で歩いて来るのだった。しかし、それはそんな風に見えるだけで、本当は何も考え込んでいるわけではなかった。疲れていて、心に期待するような特別なことがないと、男は自然に何か考え込んでいるような顔にひとりでになってしまうのであった。》(五)
《「もう少し月給がよくなったら」と云う希望が、もしも馬の首の先に吊されたニンジンのようなものであったとしたら、自分たちは結局こう云う気持のままで一生を終らなくてはならないのかも知れない。》(六)