1887年(明20)金泉堂刊。
「欧州小説・黄薔薇」(くわうしやうび/こうしょうび)と銘打っての口演速記本なのだが、当時まだ聴衆や読者には西欧の事物について見聞きしたことがない人がほとんどだったので、単なる翻訳ではなく、人名は和名に置き換え、かつ地名も日本の場所にあて直し、そのまま読み聞きすれば、明治期の日本の物語と思えるように作り変えていた。西洋の探偵小説の翻案で人気を博した黒岩涙香よりも数年早く、円朝がここまで取り組んでいたことには頭が下がる。しかも最初からこの「言い換え、置き換え」を丁寧に説明しており、この物語が翻案であることを何度もことわっている。
行く行くは大臣を嘱望されるほど優秀な官員を除け者にしたいと画策する老政治家が、高級娼婦のお吉を使って色仕掛けで破滅させようと、執拗かつ巧妙な計略をめぐらす。自死を選んだ英才に代わって復讐の鉄槌を下す人たちの行動には、西洋風の勧善懲悪という共通観念が見られて興味深い。
いにしえの口承文学から現代の口述筆記の作家まで脈々と続いてきた語りの文芸の一つの発現とでも言うべきなのか。円朝の語りにも話の構成の確かさ、語り口のなめらかさ、場面ごとの細部描写の見事さなど、その名人芸こそ立派な文学者の一人として高く評価されて当然と思えた。☆☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/891262
木版挿絵は作者不詳。
《お吉の年は二十四で色が白く鼻は摘(つま)みっ鼻でツンと高く、眼は涼やかで髪の毛は艶をもって居りますを大丸髷に結ひ、例の眉毛も剃らず鉄漿(かね)も付けぬ西洋元服で、青玉の中指に無疵で薄毛の七分もある珊瑚の古渡玉の付きました金足の簪に金無垢の櫛を指して、緞子の褥の上にチャンと坐ってをります。》(一)
《お萬は乳呑児を抱きまして、美濃部の事を思ひ、どうしたらよからうと心配して、この節は目も何も泣腫らして、髪を撫上げる事もありませんから鬢の毛も乱れ鬱(ふさ)いで居りますが、美人と云ふものは、泣いても笑っても腹を立っても好く見えます。》(三十三)