明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『怪談驟雨』 蛙声庵主人(浅見俊雄)

怪談驟雨:蛙声堂主人

1889年(明22)吉田博声堂刊。

(くわいだん・にはかあめ)副題として「一名:四つ手の尼」と出ているので最初から化物譚だろうと想像がつく。作者は蛙声庵(あせいあん)主人となっているが、京都の新聞社の作家記者と思われる。当初京都日報に10回にわたり連載されたようだ。

 

怪談驟雨:蛙声堂主人、芳州・画1

京都の呉服屋で働く若者宗次郎が、仕事で丹波方面に出かけた途上で大雨に遭い、雨宿りした所が尼僧の庵室だった。彼は尼僧の美貌に惹かれつつ、大雨を口実にそこで一夜を過ごすことになる。尼僧はある理由から出家して世を忍ぶことになったと話す。情欲を抑えられなくなった宗次郎は結婚話を持ち出し、彼女と契るが、尼僧に手が四本あることを目にしたとたん、驚いてそこから逃げ出してしまった。

古来、妖怪話の化物とは、一つ目小僧やろくろ首なども含め、ある種の奇形もしくは身体の不具合がもとになっている。この話では逃げ帰った宗次郎が熱に冒されて寝込んでしまい、その原因を聞き出した店主らが三人で真偽を確かめに庵主のもとを訪ねる。

結局は、奇形か否かということではなく、人間、特に女性の情念の熱さ、底なしの執着、執念深さに恐怖を覚えるということになる。軽々しく二世を誓うべきではないという教訓話に落ち着くが、物語としては悲劇となる。

地の文は文語体で、句読点が無く、長文が続く中に会話文が混じる。文脈が整理されているせいか、それほど読みにくくはなかった。本の末尾にはこの怪談を舞台化したり、講談・落語にまで短期間のうちに広まって、細部の演技や仕掛けを「盛り上げた」記事まで報じていた。☆☆

怪談驟雨:蛙声堂主人、芳州・画2

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/887675

木版挿画は井上芳州。Wiki には歌川芳富で出ている。国吉の門下生の一人だが、明治維新後は荻原芳州の名で錦絵や絵入新聞の挿絵を手がけたという。(生没年不詳)



《厨房(くりや)の方より出で来たる尼法師を宗次郎は何気なく見れば年齢(としごろ)廿五六歳でも有らうか色白く眼鼻立ち美しくぞっと為る程の女ゆゑ宗次郎は呆気に取れて居るを庵主の尼は莞爾(にっこり)と笑って》(駅路の驟雨)

 

《宗次郎は再三尼前(あまぜ)に向ひ彼人交はりの成ぬと云ふ其所以を聞かんと為れど尼も何有(どうあつ)ても語らぬゆえ开(そ)を押返して聞くも否(いな)ものと思ひ重ねては問はず、噺を他に転じて四方山の事を語るうち》(四手の怪談)