明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『江戸名人伝』 邦枝完二

江戸名人伝邦枝完二

1937年(昭12)大都書房刊。

これも埋蔵本の一つだった。戦中期にさしかかる頃に江戸の名人と言われた人々12人の横顔をオムニバス形式でまとめたもの。このうちの4篇が最近出版された『蔦屋重三郎の時代』という旧作を集めたアンソロジーに入っていたのがそもそもの出会いだった。(余談だが、それぞれの話には蔦屋本人はほとんど登場せず、せいぜい町角の本屋風景として現われる程度である)

 

『江戸名人伝』からは「鶴屋南北」「喜多川歌麿」「葛飾北斎」「曲亭馬琴」なのだが、それぞれの芸道を突き進んだ人物の、ある日ある時の逸事を記述することによって、その人物の全身像を浮かび上がらせるのに成功している。江戸言葉の流れるような語り口や情景描写の簡潔さに酔わされる思いがした。結局、NDLのデジタル図書で全12篇を読み通すことになった。最後の3人「円朝」「菊五郎」「団十郎」は明治初期の時代になるが、江戸っ子の心意気が受け継がれていた。☆☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1228124/1/3



「人間いくら長生きをしても、百まで生きりゃ頂上(てうじやう)だ。が、仕事の命にゃ限りがねえからの。まづそいつを考へるんだ。御修繕の記録といふ奴にァ乗らねえだらう。だが、そんなこたァ二の次三の次だ。後世になって、眼のある人が見た時に、宮川長春一門の手で出来上ったものだといふことが判りゃ、それが何よりぢゃねえか」(宮川長春



《今まで赤々と二人の上を射てゐた斜めの日はいつの間に落ちたのであらう。蘆の葉蔭から暮れそめた夏の日は遠く西の空に富岳の影のみを濃く染めて、吉五郎が持った煙管の先の火の色が漸く明らかになってゐた。》(鶴屋南北



《しかも亀吉から、前夜浅草で買った陰女(やまねこ)に、手もなく敗北したといふ話の末、その相手が、嘗て自分が十年ばかり前に描いた「北國五色墨」の女と、寸分の相違もないことまで聞かされては、歌麿は、若い者の意久地なさを託(かこ)つと共に、不思議に躍る己が胸に手をやらずにはゐられなかった。》(喜多川歌麿



《親指の爪先から、弾き落すやうにして、きーんと畳の上へ投げ出した二分金が一枚、擦れた縁の間へ、将棋の駒のやうに突立った。》(喜多川歌麿



《ついきのふ、こゝの二階へ世帯を持ちたてび、まだ茶碗小鉢一つない六畳の間は、まん中に、判じ物のやうにおかれた行燈がたった一つ、ぽつねんと立ってゐるだけで、他には、おそらく若鶴が茗荷屋から持って来た荷物であらう。唐草模様の風呂敷包みが二つ、解きもせずに、道端の石ころのやうに投げ出されてあるばかりであった。》(葛飾北斎



「この世間の、ありとある幸不幸を、背負って生れて来た人間を、筆一本で自由自在に、生かしたり殺したりしようといふのが、戯作者の仕事ぢゃねえか。それだのにお前さん、生きた人間は怖いなんぞと、肝ツ玉の小さなことをいってたんぢゃ、これア見世の出しやうがねえやな」(曲亭馬琴



《大川から吹き上げる夜風は、すでに針を含んでゐた。明治十八年十一月なかばの月影が、淡霧を透して清親の絵のやうな浜町河岸の夜景を夢のやうに包んでゐる。》(五代目菊五郎