
1935年(昭10)千代田書院刊。
1956年(昭31)河出書房刊、銭形平次捕物全集第2巻。
最近読んでいたのは「銭形平次」の長篇ばかりだったので、まとまった短編集も読んでみたいと思った。昭和10年に出版された「平次物」の第2短編集14篇の本が見つかったので通読した。(第22作目から第36作目まで)
胡堂の自序がついていて、書き始めて5年という油の乗った筆致が初々しく感じられた。この頃は子分の八五郎を「ガラ八」と書いていて、その後の「ガラッ八」よりも彼に対する態度にやや丁重さが感じられた。まず八五郎にやらせてみるという育成者的な視点もある。八五郎の性格描写、助手としての成長も見える。平次の温情味のある解決策や御用聞き仲間への気遣いなど、捕物帳の一二を争う出来となっていった理由が見えた気がした。☆☆☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1224643
https://dl.ndl.go.jp/pid/1645160/1/3
挿絵は神保朋世。

※『銭形平次捕物控』は不思議な縁で五年書き続け、今なほ「オール読物」に連載して居る。一つ一つに長編以上の苦心が潜むせゐもあらうが、私に取っては、掛け替の無い秘蔵つ児で、可愛くて可愛くてたまらない作品である。多寡が捕物小説――と思ふ人があるかも知れないが、それは書く者の苦心を知らない人の言ひ草だ、こんな骨の折れる小説、一つ一つに肝胆を砕く、血のにじむやうな苦心を要する小説は、経済的な目的や野心だけでは書けるものではない。(自序)

《木戸番はお倉といふ新造、塩辛声の大年増と違って、こいつは水の垂れるやうな美しさを発散し乍ら、素晴しい桃色の次高音(アルト)でお客を呼ぶのでした。》(歎きの菩薩)
「馬鹿な、そんな事があるものか、幽霊が人を殺す世の中になっちゃ、岡ツ引は上ったりだ」(歎きの菩薩)

《お品は賢い女には相違ありませんが、女の本能が教えてくれる「自分の美しさ」だけははっきり知っていたのです。》(江戸阿呆宮)
「弱ったのはお静さんよ。あんな可愛らしいお神さんは江戸中探したって二人とあるものか、お前さんには過ぎものだ。そんな雌猫の化けたやうな脂切った女なんかと見変へちゃ罰が当るよ」(平次女難)