
1946年(昭21)5月~12月、雑誌「婦人画報」に『夜の構図』を連載。
1955年(昭30)現代社、現代新書。全6篇。
『夜の構図』は当初雑誌「婦人画報」に連載されたのだが、女性読者には不評だったという。主人公は作家本人を思わせる大阪の新進劇作家で、自作の公演に立ち会うために上京して老舗ホテルに泊まる。そこで同宿の見知らぬ若い女性と一夜を過ごす。
上演される自作には勝手に濡れ場を追加されて、彼は不満ながら演出家に青臭い議論を吹きかける。そしてその芝居に出ている別の女優をホテルの部屋にいかに誘い込むかに心を砕く。マッチが手に入りにくいことが会話の糸口になるのも今となっては珍しい。男女関係にしか頭が働かないのかと思わせる。スタンダールの「赤と黒」をお手本に行動するというのも確かに青臭いが、文章の所々に鋭敏な表現が気に留まったのはさすがと思えた。
『怖るべき女』は織田の絶筆となった作品で、雑誌「りべらる」に連載中だった。自分の絶対的な美貌を自覚している女の心理描写が興味深かった。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1647101/1/4
https://dl.ndl.go.jp/pid/12851557/1/17
雑誌「りべらる」の『怖るべき女』の挿絵は岩田専太郎。

《信吉は舞台へ上って煙草を吸った。俳優のいない舞台は、ペンキの匂いがまるで自作の亡骸の匂いのようであった。見物のいない客席は夜の火葬場のようにひっそりとしていた。》(夜の構図、三)
《須賀新吉という男は、女たちのいわゆる神経質な表情と、放心したようなキョトンとした虚ろな眼や笑った時の目尻の皺から感じられる子供っぽい表情と、二つの表情の交錯する顔を持っていた。それに、都会人らしく、はにかみ屋で、人なつこく、気が弱そうで、ふと冷酷なところもあり、そして凄い女たらしに見えたり、……時と場合でぐるぐると表情が変り、印象が違うので普通の平凡な男に飽いている女にとっては、ちょっとした魅力のある男であった。》(夜の構図・五)
《恋愛とは、自分を見失うまでの情熱の行為だが、果して信吉は自分を見失うまでに女に惚れることが出来るだろうか。いやそんな男が現代の青年の中にあるだろうか。》(夜の構図・七)
《純情、感動、美、真実――そういったものを、信吉は相手から感ずる。涙を見て感ずる。そして、信吉はあたかも美しい景色や、美しい絵を前にしてそこから迫って来る感動に一種の当惑を感ずるように、当惑するのである。信吉はその時自分の醜さに狼狽するのである。感動を強いる対象と感動しない自分、――その二つの間の距離に苛立つのである、孤独というやつだ。》(夜の構図・十一)
「――あたし今迄人を好きになった事がないのよ。お友達なんか一人も出来ない」
「つまらないだろう?」
「何もかも……。軍人がはびこるし、戦争なんか始ったおかげで、何もしたい事出来ないわ。こんな事言うと、非国民みたいだけど、あたし、みんなの様に夢中になれないの」(夜の構図・十四)
《結婚という形式は便利に出来てやがる。結婚は女をひどい目に会わせたことのつぐないになるし、また、今後のひどい目に会わせるための正当な手段に、結婚という形式が利用されるのだ。一体、結婚って何だろう……? 男女の行為は結婚生活の下では、誰も非難しない、結婚は偽善の形式だろうか。》(夜の構図・十六)
《自分は確信を以て言うが、橋爪加代子というこの出戻り娘は、けっして美人ではない。むしろ不美人、醜女の方であると思う。鼻が低く額が飛び出ていて、唇が分厚く突きだしていて、おまけに色が黒い。が、その眼は妙になまめかしい。少し斜視のせいかも知れない。性質は快活というよりも、何か軽薄で蓮ッ葉である。自分はこのような女を殆んど好かないと、自分に言い聴かせた。》(奇妙な手記)