
1905年(明38)春陽堂刊。上下2巻。
この歳になって、ようやく文豪徳田秋声の長篇小説を一つ読み通すことができた。自序にもあるように、筋の巧みな展開が求められる新聞小説のような長編には純文学的な要素を盛り込みにくいと言っているようだ。
片田舎で貧乏教師をやるよりも東京へ出て栄達を極めたいと、許婚者を残したまま小田垣は上京するが、列車で同行した子爵家の令嬢松枝と親密になり、結婚することになる。つまり入婿として華族の一員となったので、田舎に残した許婚者の芳子は裏切られて、悲嘆に暮れる。そこをつけこんだのが同郷の法学士梅浦で、小田垣の非情をなじりながら、芳子に結婚を申し出る。子爵家の先代に起因する不祥事が明るみに出ると、梅浦は小田垣の冷酷さこそ子爵家の品位を汚すものだと煽り、メディア(新聞)を巻き込んで喧伝する。結婚した芳子はそんな梅浦の心根に失望し、離縁を前提に別居する。明治の法律では女性は夫の許諾がなければ離婚できなかった。彼女は電話交換手の仕事を見つけ、弟と細々と暮らす。たまたま立ち寄った小田垣が子爵家を出るという話を聞いて、昔の縁に戻れそうな淡い期待を抱いたが、小田垣は単身外遊する意思を示し、彼女は絶望の末に自殺する。ここにも救いのない自然主義的な結末が描かれる。
登場人物のそれぞれの立場での感情が綴られ、意見が闘わされるが、現実世界がそうであるように何をもって正邪を判定できるのかは極めて難しい。生きづらさに苦しむ人間像を目の当たりにするというのが、自然主義文学というものなのかと思った。☆☆☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/886720
https://dl.ndl.go.jp/pid/886721/1
《有体(ありてい)に言へば、余は未だ当今の所謂(いわゆ)る新聞小説体の作品に於て、真率なる人生の描写説明を試み得べしとは信ずる能はず。そは筋を立つること愈(いよい)よ巧妙なれば自然を離るヽこと愈(いよい)よ遠ければなり。而して少なくとも或程度まで筋を立つるの巧妙を競はざるべからざるか、即ち長篇小説の風潮なればなり。》(自序)

《芳子は今朧(おぼろ)げに、大いなる精神上の悲運に陥ってゐる事を覚った。而してうかうか此の悲運に導かれた自分の不覚を怖れた。で、幾(ほと)んど其の苦痛を支へ得ぬまでに、一種の哀愁に打(うた)れて、制(とど)めあへぬ熱涙が、ぼろぼろと頬を転(まろ)ぶのであったが、皮肉なやうな、親切なやうな、揶揄するやうな彼梅浦の一言一句は(…)いよいよ其の幻の影に憧るヽ心の、空を馳って狂ふばかりであった。》(上編・第八章・愛の脱殻)
「それぢゃ何(どう)なんですの。私何(どう)しても兄さんの心が解らなくて困るわ。」
「解らなけりゃ解らないで可(い)いぢゃないか。僕も明らかに説明するのは、実に困難なので、人間の複雑した感情が、実際然う容易(たやす)く言表されるものでもないのだ。」(下篇・第四章・外科室)
