
1939年(昭14)2月~1940年(昭15)2月、雑誌「富士」連載。
1941年(昭16)非凡閣刊、新作大衆小説全集 第22巻所収。
(いのちあるかわ)片岡鉄兵は大正期には新感覚派、昭和初期にはプロレタリア作家として知られたが、その後転向し、通俗作家となった。この作品は戦中期にさしかかる時期に書かれながらも昭和初期のモダンで自由な雰囲気が感じられた。
ヒロイン浅見雪子は、母親の連れ子として浅見家に入ったが、理由不明ながら母親は雪子を置き去りのまま出奔してしまい、雪子はその家で兄妹として育つ。雪子はふとしたことから、自分の生母が別の資産家の後妻として結婚した後、莫大な遺産を持って死の病床に臥していることを知る。彼女には相続人がいないので、雪子が相続し、一躍富豪になってしまう。
作中人物には作家自身の性向が反映されることが多いが、ここでも多くの人物が気まぐれに、あるいはとっさの判断で、行動や行く先を平気で変えてしまう場面が多かった。それが小説の筋立ての面白味にもなり、何とも言えない片岡文学の柔軟さが感じられた。
副人物ながら機械メーカーの辣腕セールスウーマンの江口蘭子の積極性、行動力、頭脳の回転など「強い女」としての生き様が活写されたのも興味深かった。☆☆☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1031178/1/6
雑誌連載時の口絵・挿絵は志村立美。
《母から雪子に譲られるはずの財産など、神山が横領しようと思へば訳なく出来るはずだった。それを神山はわざわざ雪子を捜し出してまで何十萬かの財産を呉れようとしたのだ。そして、これまで彼は一度として、雪子に露骨な誘惑も試みないのだ。いったい何のために(…)莫大な財産を、惜しげもなく雪子に渡さうとするのだろう。人は、何の野心もなくて、そのやうに赤の他人に、お伽噺にも珍しい親切を恵むことが出来るものだらうか。》(虎口)
《夢よりも商売の方が、蘭子にとっては、どんなに大切であらう。商売のためには、愛情などは邪魔ものに過ぎない。女ひとりの腕で、世の荒波に打克って行くためには、恋愛など、のんきに楽しんではゐられない。自分は金のためにはどんな困難も突破して行くが、恋愛のために動かされるやうな女ではないのだ。それが強い女の道だと、蘭子は信じ、また自分は強い女だといふ誇りひとつに生きてゐる蘭子であった。》(曠野の女)