明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『怪塔』 岩橋楚石

怪塔:岩橋楚石

1916年(大5)三芳屋書店刊。

 大正期に翻訳紹介された探偵活劇の一つ。原作者も原題も明記されていない。舞台は北欧デンマーク丁抹)の首都コペンハーゲンとその近郊のクランペンボルグ(Klampenborg)の海辺の荒地に建つ古塔である。恐らく原作者は無名のデンマークの探偵小説家だったと思われる。著訳者の岩橋楚石 (1884~? ) は本名信二郎で、当初楚石と号し、その後莫愁と改めた俳人として知られる人物だが、若年期に翻訳作家としても活動したと思われる。

怪塔:岩橋楚石

 変身を得意とする美人の舞台女優エビリー嬢がコペンハーゲン公演で盛況を博している間に、市内の各所で「暗(やみ)の女」と称する強盗団による被害が連続していた。鬼探偵と呼ばれるアービングは科学的手法も駆使して事件に取り組むが、狡猾な一味の悪巧みに翻弄されながら追いつめて行く。

 活劇というだけあって次々と展開するアクションの行動描写が多く、それを追う分には映画並みに面白いのだが、叙述は浅薄に感じられてくる。しかし場面転換時の情景描写等には明治の美文調の名残のような重厚さが味わえた。☆☆



国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/906903

口絵は服部峰崖、挿絵作者は不詳。

 

丁抹デンマーク)の都、コペンハーゲンの市(まち)は、何時(いつ)の間にか、爽やかな春に浸って居た。陰鬱な冬の天地から甦って、到る処の市街(まち)には、歓楽の光が流れて居た。劇場(テアートル)から渦巻のやうに起る殷賑(にぎはひ)の歓声、さては並木路(ブールヴァード)に軒をつき出して張られた天幕(テント)の珈琲店に響くピアノラの諧音(メロデー)にも、何んとなく、さんざめく、賑やかな春の歓びが満ち充ちて居た。》(女賊「暗(やみ)の女」)



《芳紀まさに十八歳、春秋を花よ蝶よと育てられて、風にも当てぬ父母の慈愛は、側の見る眼も羨ましい程であった。深窓の花に育まれ、瑶台(えうだい)の月に養はれて、眉清く、朱唇匂やかに美しい未通女(をとめ)は、宛ら天女のやうに見られた。》(モルレル邸の宴)



《暁の空は、蒼茫たる海気を含んで、東天から明け初めて来る。唯だ見る浪打際は、流石に春の柔かい曲線を描いて、渚の岩の上には、飛ぶ水鳥の影も見える。白く碧く、且つ黄に、朱に、捲き返す泡波は、踊っては崩れ、崩れては消える。雲の帯、山の襞、空には鼠色の雲が、幾條にも棚曳いて、爛々たる日の光りは、雲の隙間から射て、紺碧に薄い黄を帯びた海面を漬さうとして居る。夜の幕は、漸く明け放たれて、そゝり立つ海岸の一角に、魔塔は、巨人の如く、一面朝日の朱を浴びて、威容を厳然と示してゐる。》(悪魔の群の冷笑)



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