明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『石の下の記録』 大下宇陀児

石の下の記録:大下宇陀児、永田力・画

1948年(昭23)12月~1950年(昭25)5月、雑誌「宝石」連載。

1951年(昭26)岩谷書店刊。

1953年(昭28)春陽堂書店、日本探偵小説全集

 

 タイトルの「石の下」とは、屋敷跡の庭石として残された大きな青い石の下に空洞があって人目につかないので、その場所を「交換日記」のノートの隠し場所として使ったことを指す。

 終戦直後の東京。新しい社会秩序も価値観も定まらない状況で、不良学生たちは酒や麻雀に明け暮れ、娼宿に通ううちに金欠となり、集団強盗を企てる。彼らは仲間の符牒のようにスラングを多用し、結束を固める。代議士の息子有吉もそこに加わるが、まだ少年の思考から抜け切れない。その他には自分の欲望の達成のために理詰めで行動する起業家肌の秀才など。当時の社会風俗や若者の生態を活写していた。そうした中で殺人事件が起きるのだが、謎解きよりも人物たちの心理の推移を重視した手法には文学的な手応えを感じた。☆☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1642730

https://dl.ndl.go.jp/pid/1643448/1/3

岩谷書店版の表紙絵は永田力。

 

石の下の記録:大下宇陀児

《懐古的な考えは避けなければならない。すべてが前進的であるように要求されている。社会も道徳も剣法も新しくなった。これに対応しての希望を持たねばならない。希望がなかったらそれは人生の喪失であり生命の壊滅である。殊に政治家たるものは、つねに青年と同じき活気に充ちて、希望の多き前途を見つめ、勇往邁進するところがなければ、遂にこれ国家全体の壊滅を招くということになる。》(青い石)



「同時にぼくは、あなたが観察するような目的がわからなくなった人間でもないんです。ぼくは、目的を掴んでいます。生きて行くことそれ自身が目的ですからね、問題は非常に簡単になってくるんじゃないでしょうか。いったい、生きていなかったら、何があるというのですか。屁理屈や空想はよしときましょう。」(眉目秀麗な鬼)



「ぼくは、人間は不安なんかあっちゃいけないっていうことを、いつも考えています。それには、その時その時の行動を、常に肯定して行くんですよ。不安を感じて生きるんじゃつまらない。自分の欲求に対してはよぶんな方向をふりむかないで、まっすぐに歩いている。そうすると、世の中は愉快になります」(群盗)



《彼も不倖せな奴だ。今の時代が生んだ一つの犠牲者だ。何が正しいか、何が善良か、イヤ何が幸福かということを今のぼくたちはハッキリ判断し見定めることができない。(…)すべては混乱している。わからないことだらけだ。園江は、そのわからない世の中で、もがいたり、はねたり、しゃべり、わらい、泣いている一人の少年に過ぎない。》(愛の書簡)



《私の思想や行動が、頽廃的であり不潔でありエゴイズムであり、ことに殺人者だから、甚だしく反社会的だという非難は、当然おこるにちがいなく、しかし私への共鳴共感者だって、必ずしも無いとは限るまい。私は、自分の欲するものに対して、勇敢に突進した。世間には、この勇敢さを欠くために、実は私と同じことをしたいと思いつつ、それができないでいる人がかなりに多い。(…)細く長く生きるためには、まったくそれは賢明なやり方であり、私の方が、馬鹿だったということになるだろう。が、私は、そう思われても口惜しくはなく、なるほど君たちの方が賢明だよと、その小さな善人たちを、慰めてやるだけの寛容さを持つつもりである。》(短い尺時計の告白)

 

 

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