
1958年(昭53)東京文芸社刊。
1957年11月~、雑誌「週刊平凡」で連載。
このタイトルは、東京に進出した「そごうデパート」の広告キャンペーンのキャッチフレーズだった。デパートは有楽町の西口に開店したが、それに前後してテレビの歌番組、歌謡曲、連載小説、映画などで広まり、特にフランク永井の歌う歌謡曲が大ヒットした。
※有楽町で逢いましょう フランク・永井
※Wikipedia 有楽町で逢いましょう(広告キャッチフレーズ)
小説では、大学のサッカー選手と富豪令嬢の短大生との若いカップルにそれぞれの姉と兄が関わり合う軽妙なラブロマンス(ウィキペディアの解説は間違っている)で、そのまま大映で映画化された。綿菓子のように軽いので安手の米映画を思わせた。☆

単行本には中篇の『背広太平記』と『開け胡麻』が併収されている。『背広太平記』は「背広盛衰記」という題で、雑誌「読切倶楽部」に同時期に連載されていた。事業に失敗した物部氏が金策に奔走しながらも、その恰幅の良さと鷹揚な態度を変えることなく、結婚相談所を開業していく。先々の事をあまり深刻に悩まずに、飄々と行動するタイプは異色でもある。宮崎博史(1899~1990)は、ユーモア作家として戦後昭和期に人気があった。語り口が短く改行が多い。場面の進行が早いと錯覚する軽さがある。その明朗さは源氏鶏太にも通じる感じがする。☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1646458/1/3
https://dl.ndl.go.jp/pid/1723049/1/164
「背広盛衰記」の挿絵は沢田重隆。

「どこで会う」
「いつかのところがいいわ。有楽町よ。花屋の前よ」
「花屋の前、じゃ二時ジャストにね。きっと来てるね」
「ええ、うれしいわ、きっとよ。きっとよ」(口惜し涙)
《有楽町駅は、相変らず人の波である。幸福そうな若い人達が花のように流れている。雨が降っているので構内はとても混雑して、まるで温室のようだった。》(武志の家出)
《貧乏をすると人間は悪くなる。特に金持ちだった人が貧乏してくるとそれが激しい。順平氏はそれに自分で気がついていた。「貧すれば鈍するというのは真実だ」(背広太平記・五)
「『浮雲』て映画があったでしょう。ぐうたら亭主に何処までもひきずられてゆく女の話よ。あれ見た時、どうして利巧な女があんなにも甲斐なしの亭主にひきずられてゆくのか解らなかったわ。でも夫婦ってあれに似たところがあるのよ」(開け胡麻・四)