
1914年(大3)日吉堂刊。
作者の中井苔香(たいこう)については詳細な情報が皆無に近い。大正期に著作が集中しているが、当初は悲劇小説、家庭小説が多く、その後滑稽本に移って行った。この小説は初期の悲劇小説の一つと考えられる。

幼くして親に先立たれた兄弟が、唯一の身内である叔父を頼って東京に出たものの、その叔父は養育するどころか、奴隷のように酷使したので、彼らは夜逃げをする。馴染みの村へ帰る途中、今度は男の甘言に乗せられて東京に戻り、身体を売り飛ばされて兄弟共に離れ離れになる。兄はクズ拾い、弟は中国に連れて行かれてしまう。こうした社会の底辺での困窮生活を詳細に描いて同情を誘うのが悲劇小説の骨頂だが、絶望の根底に希望を失わず、不屈の意志を持ち続けることで、思いがけない偶然と救いの手で成功者への道が開かれるという結末は、常人の心には安堵感と充足感を与えてくれた。記述は平明かつ丁寧で、文体も好感が持てた。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/907220
口絵作者は未詳。
《其筋は可憐なる親のない兄弟が奇(く)しくまでに変化のある社会の激浪にもまれもまれて、あらゆる漢難と戦ひ、浮きつ沈みつ不屈不撓遂に成功の彼岸、即ち平穏なる海上に碇を下したと言ふ、聊か社会の変化否矛盾を写し、以て世の萎み勝ちなる士気の鼓舞に努めた積りである。》(緒言)