明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『女ジゴマ:探偵奇談』 高橋筑峰

女ジゴマ:高橋筑峰

1912年(大1)春江堂書店刊。

「ジゴマ」(Zigomar) とはフランスの新聞連載小説の一つで、強盗、殺人などの凶悪犯罪を行う怪人のことで、警察や探偵を翻弄する姿勢が人気を呼び、映画化された。日本では1911年11月11日に初めて公開され、人々に大きな衝撃を与え、異常な評判となる社会現象となった。(下掲の「キネマ・レコード」誌の記事参照)

 書物としても映画のノベライズ本や、翻案本、あるいは単なる便乗本、つまり「ジゴマ」が入っただけの書名で売ろうとした出版社が続出し、この時期(大正初期)だけでも20数点が出された。

 

 この「女ジゴマ」もそうした便乗本の一つだった。京浜地区の金満家を狙った強盗殺人事件が頻発し、現場には「ジゴマ行之」(これをおこのふ)という紙切れが残されるというのが特徴。つまり日本にもジゴマの模倣犯が出たということになる。各地の警察が懸命に捜査するうちに、夜中に怪しい自動車を運転する怪美人が浮上する。明治来の刑事同士の功名争いで、それぞれ勝手に動くうちに、元伯爵家の令嬢が疑われるが、犯行時には彼女は箱根で保養中という完璧なアリバイがあった。同時二カ所存在という神出鬼没ぶりである。

 その元華族令嬢冽子(きよこ)については、その境遇の浮き沈みやら、誘拐されて人身売買で海外に売られ、ついには南仏ツーロンの阿片窟で女給をするまでの記述が続き、そこから救出されるに際して「ジゴマ」との関連づけが出来上がる。

 作者の高橋筑峰については、ほとんど情報がないが、水戸藩士に関する著作もあるので茨城県出身かも知れない。描写力、筆致ともそこそこ面白く、力のある人だとは思うが、この一作は物語としての骨組みにちぐはぐさを感じた。☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/907855

口絵は筒井年峰と思われる。

女ジゴマ:高橋筑峰、筒井年峰・画?

《雲は低く垂れて鬱陶(うっとう)しく、濡潤(しめっぽ)い空気は何となく、頭から圧えつけられ想な、心神(こころもち)の爽やかならぬ日々の雨天、然(さ)りとて豪雨の降るでもなく、淫々朦々(いんいんもうもう)霧の如く、降りみ降らずみ、軒端の雫、絶ゆる間とては少ない今日此頃は、細民窟の困難は、実に目もあてられぬ程であった。》(一、満都を震駭せし兇賊)

 

《当時(そのころ)は未だ自働車を我邦で乗用する人は実に指を屈して数える程だ、従って自働車で疾走する人は、何処(いづく)の誰であるかは、直(ぢき)に判明し得るべき筈(はづ)、然るに近来、何処(いづく)の貴婦人か、素性知れざる怪しき美人が、京浜間は言ふもさら、遠くば逗子鎌倉さては大磯国府津までも、巧みに自働車を運転し。峻坂険路(しゅんはんけんろ)も恰(さなが)ら平地を走るに異ならず、往来すると云ふ噂は専らであった。》(十二・神出鬼没の怪自働車)



キネマ・レコード:1914年10月号

※「キネマ・レコード」誌。1914年(大3)10月号

ジゴマール第三編 禁止命令に合ひしジゴマ劇の改名上場 森田生

 https://dl.ndl.go.jp/pid/1856142/1/11

 過ぐる一九一一年九月エクレールは驚ろくべき活動写真のレコード破りの不可思議なる”ジゴマール”を作り世界各国にエクレールの名を成さしめたことは諸君に強く印象を残されて居る所であらふ。第一篇より引続き第二篇(ジゴマールとニック・カルテー)は表はれ前の福宝堂が輸入して未曾有の人気を集め、遂に”ジゴマ君”の名とあの顔とは誰も知らぬ者はない位しかも日本人たる者ジゴマを知らざる者は無い様になつたのは実に奇性な現象で”ジゴマ“といふと今では”賊”といふ普通名詞になつてしまつた。 以来警察は絶封に”ジゴマ”を禁止し、名さへも許されずになつた。第三篇は昨年三月倫敦で発売され直に日本にも輸入したが時しもジゴマ禁止の厳命で出す所の騒ぎでない所からそのまゝ今日に至つたが、いくらジゴマ君でも日本の分ずやの〇〇〇〇君には凹まされて今日まで暗い日活の蔵の中にとぢ込められてゐたが 漸く九月末出獄して遊楽館に出ることになつたが、”Z”の名ば使用をゆるされず、タイトルも ”A detective's victory"(探偵の勝利)となり字幕全部タイプライタ一で日本製の幕に変更L.”ジゴマール“、”ポーラン・ブーケー”の名は、” 名知らぬ悪漢”,”某探偵”となり了つた、あとは看客の御想像にまかぜて置く。 




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