明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『緋牡丹記』 有田治

緋牡丹記:有田治、岩田専太郎・画1

1949年(昭24)1月~5月、『朱唇帖』のタイトルで小島政二郎が雑誌「婦人生活」に連載そして中断。

1949年(昭24)6月~1951年(昭26)9月、『緋牡丹記』のタイトルで有田治の草稿のまま、同雑誌に連載を継続。

1954年(昭29)同志社から有田治の全草稿を出版。冒頭の5回分は小島の文とは微妙に異なっている。

 有田治は、雑誌「婦人生活」の社長原田常治(1903~1977)の筆名である。筆の立つ彼は雑誌にコラム記事なども載せていたが、実話をもとにした小説の草稿を書き溜めていたのを、小島政二郎が引き受けて『朱唇帖』というタイトルで連載を開始した。これは人気を呼んだものの、5回で小島は中断を申し出たため、やむを得ず、草稿のまま連載を継続することとした。物語の展開の巧みさや洗練された筆致は完成度が高く、連載はその後2年以上続き、映画化されるまでに至った。

 

朱唇帖:小島政二郎岩田専太郎・画2

 京都の伝統と格式のある子爵家の次男上村隆は、米国留学を終えて帰国したが、ある時町屋の娘雪絵と恋に落ち、実家の猛反対を押し切って結婚する。彼は生計の自立を求めて妻子と共に米国に渡るが、まもなく現地の女性と同棲したので、傷心の雪絵は子供を連れて帰国し、学んだ洋裁の腕で細々と暮らすことになる。その近所に住む男小柳は、どこか夫の隆と似たところがあり、真面目一徹ながら次第に心を寄せるようになる。しかし彼はなぜか自分の出自や過去については一切語ろうとしない。

 ミステリーの要素も織り込んで、時代は関東大震災の苦難を乗り越え、昭和初期までの人々の生活ぶりから、登場人物たちの成長過程までを明瞭な考察と流麗な筆致で描いていて、名手の域に到達していた。☆☆☆☆☆

 

緋牡丹記:有田治、岩田専太郎・画3

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/2324867/1/14

https://dl.ndl.go.jp/pid/1353801

連載時の挿絵は一貫して岩田専太郎が担当した。

 

緋牡丹記:有田治、岩田専太郎・画4

《自分の身のまわりを飾ることや、自分が遊ぶことは女にとって、浅い喜びにすぎない。女の真の喜びは、自分の一切を犠牲にする時である。自分というものを無にして、愛する者を喜ばせる時である。そこに何ものにも勝る深い歓喜がある。その喜びを知らないのは、女にとってまことに不幸である。(立聞き)



《人間というものは、毎日同じことを繰返している間は、自然に習慣づいた通り、心も時計の針のように同じ気持で移って行くものであるが、何か、変化があると、たちまち均衡がとれなくなって、心に隙間が出来る。その隙間にふとひそんでいた好奇心というか、いたずらっぽい悪魔が顔をのぞかせるものである。》(絵日傘)

 

緋牡丹記:有田治、岩田専太郎・画5

《所詮、女というものは愛情を除いては生命がないものか。父、母、良人、恋人、それらの愛情に縋りつつ生きる数多くの女。子供を、弟妹を、或は病弱の良人をひしと抱いて愛しつづける数多くの女。どちらにしても愛情の対象なしには一日も生きられないというのが、女の持つ宿命か。》(わくら葉の嘆き)

 

《明るいとか暗いとか、美しいとか醜いとか、私たちの見る世界はいつでも変化するが、果してそういうふうに物が変るのであろうか、それとも、それを見る私たち自身の心が変化するために、そう変って見えるのではないだろうか。》(麦の穂波)

 

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