
1895年(明28)日吉堂刊。
この作品はNDLのデジタル・コレクションで偶然に見つかった。表紙の次にいきなり本文が始まり、故意か過失か、作者名が表記されるはずの中表紙もなかった。しかも最後尾の奥付にも著者名は省かれていた。想像するにこの版元日吉堂は、どこか別の版元で出した本の中身の版型だけを譲り受け、いわば海賊版のようにして売り出したのではなかろうか、ということになる。この中身の転売は明治期にはそこそこ頻りに行われていたようなので、お互い様だったのかも。
明治中期の出版で、まだ言文一致体は定着しておらず文語体が基本。この作品でも叙述文と会話文の区別をつけず、句読点も改行も無く、ページ一杯に文章がダラダラと続けて表記され、かなり読みにくかった。内容は毒婦物。悪女の条件はまず美人であること、弁舌が巧みで、行動力があり、道徳観念が稀薄で、瞬時に損得を判断して、平気で人を裏切る。
実家の家計のために芸者に身売りしてから、身請けしてくれた金持の妾に収まりつつ、馴染みの男に通じて財産を掠めて逐電する、というパターンを何度も、しかも男を変えて繰り返す。その犯行記録が年次を追って語られるので犯罪実録のようにも読める。登場人物は次々と入れ替わり、整理しきれないほど多い。
何よりも女である立場から、主犯は男であり、女はそれに引っ張られて行動しただけ、という論理でほとんど捕まることはない。金を詐取する相手の大半が金満家の老人なので、「盗られても大したことはない」という結果がむしろ犯行の手際の良さを感じさせ、悪行の深刻味を覚えさせない。☆☆
当初は、大阪の版元博多成象堂の巻末目録にあった同名の『悪美人』(渡辺霞亭)という小説を探したのだが、その版元の本はNDLでは見つからず、代わりにこの著者名を匿した同タイトルの本があった。ほとんど同時期で霞亭も当初は文語体で書いていたので、同一作品の可能性が高いと思われた。

国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/885269
挿絵作者は不詳。(数点の挿絵が入っているが、本作とは無関係の西洋翻案物についていたものだろうと推測する)

《水の流れも人の身も淵となるてふ年の瀬に都の師走ものものしく羽根無くて飛ぶ孔方に十露(そろ)盤球の往来(ゆきき)忙(せは)しき中を》(第五回)
《五尺の檜板に墨黒々と筆走らせし訴訟鑑定代言人紹介の九字、往来の人足止める計りに光り、硝子戸超しに内を覗(うかが)へば黒鼠さまざまの帽子鴨居に掛り彼方に萌黄色のテーブル掛きらきらしきに呼鈴一つ置きたるは春の海原に霞む灯台にも比す可く傍らの西洋戸棚狭きまで金字まばゆきクロース表紙の史(ふみ)ども並べしは秋の深山の樹間(このま)より月さし昇る光景(さま)あり》(第十回)