
1906年(明39)~1907年(明40)大学館刊、正続全2巻。
ヒロインのタマエは、駐仏国公使栗栖伯爵とパリの女優ビロンとの間に生まれた庶子だった。父公爵は国命で日本に帰り、母娘はパリで暮らしていた。嗣子のいない公爵は正夫人の死後、母娘を日本に呼び寄せることにしたが、母のビロンは結核を病んでいた。マルセイユで出航前にヨシノという日仏混血(これは差別用語になっているが今のところ適当な別用語が見つからない)の娘に会い、一緒に日本に連れて行くことにする。航海の途上で母親は病気が悪化して死去する。火葬で遺骨にするため、上海で下船し、ヨシノの顔見知りと言う中国人の家に泊まるが、ヨシノは腹黒い計略を立てていた。それは自分がタマエになりすまして、遺骨とともに日本に行き、父伯爵に会って娘と名乗り出ることだった。タマエは身ぐるみ奪われ、地下に幽閉され、遠方に洋妾として売り飛ばされることになった。

タマエとヨシノは同年代で、生まれも容貌も似通っていた。怜悧なヨシノはタマエの荷物から母親の日記帳などを熟読・研究し、まんまと伯爵家に迎えられ、計略は完璧に成功したかのように思われた。一方で絶体絶命のどん底に陥れられたタマエがいかに起死回生を図れるかが読者を惹きつける。当初は新聞連載と思われるが、各段階ごとのいきさつを折あるたびに何度も説明する個所が多いのは、途中から読み始めた読者へのサービスとも受け取れる。たくまれた既成事実をひっくり返すためには、多くのエネルギーがかかるのは常識であり、それを詰め将棋のように追い込んでいくプロセス描写は巧みだった。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/885950
https://dl.ndl.go.jp/pid/885951
口絵作者は未詳。
《タマエはかくして不幸なる運命の下に朽ちんとするか、こゝに義侠なる人士のあるを忘るべからず、正は遂に邪に勝つの理を忘る可からず、》(七十四)