明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『南風』 富田常雄

南風:富田常雄

1951年(昭26)湊書房刊。

 図式の明確な柔道物。主人公の浜誠一郎は大学生で柔道六段。九州の出身でその大らかな性格から「南風」(読みが「なんぷう」なのか「はえ」なのかは明記されていない)という渾名が付いていた。恩師に紹介されたアルバイト先は有名な割烹店の息子の家庭教師だったが、そこの姉娘の環はレコード歌手で、誠一郎とは列車内で偶然知り合っていた。誠一郎と環は急速に親密になって行くが、ここに彼の恋敵が出現する。それは同じ柔道六段の伊丹であり、環の実家の割烹店に多額の貸付をしていた土建屋の息子だった。伊丹はその立場を利用して環に結婚を迫る。拒絶する理由を探しあぐねた末に、彼女は柔道の全国大会での優勝者と結婚すると宣言する。誠一郎と伊丹との対決の結果はいかに?

 それぞれの人物像が対照的に描かれていて、読みやすかった。平行して貧乏学生と踊りを習う娘との恋情も無骨なほど率直に書かれていた。1951年に松竹で映画化されたが、戦中期の1939年に同名の林芙美子の小説も映画化されており、やや紛らわしい。☆☆

南風:富田常雄、松竹(1951)

 併収の中篇『誰か夢なき』は終戦直後の1946年(昭21)に雑誌「ホープ」に連載された。文字通りの戦後混乱期の只中に生きる若い男女たちの姿と思念を描いて読み応えがあった。特に終戦を境界にその前と後との思想や価値観の崩壊と再構築を人々がもがきながらも模索する感情の発露は貴重な証言とも感じられた。これは同年(昭21)に新東宝で映画化された。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1659390

表紙絵は下高原健二。

 

南風:富田常雄、松竹(1951)

《胸に黒ビロードの飾りがある。ノーカラーのハイネックの白い首に真珠の首飾が巻きついている。髱(たぼ)のある最新型の髪といい、その粋な服装に似あわしく要望までが見事に均斉がとれ、眉も鼻も唇も、女性に接する機会の乏しい彼には申分のないものであった。》(花と急行列車)

 

《友人達から、多少の軽蔑と愛情をこめて『南風』と呼ばれている誠一郎の性格のなかには、その敏捷は凡そ存在しなかった。あだ名は彼が南の九州児である故ではなく、南風のようにのんびりして、暖かいと云う意味が含まれていた。》(花と急行列車)

 

《これから、レコードに吹き込もうとする『南の風』の題は環を微笑させた。それは、誠一郎が学生仲間から『南風』とあだ名を貰っているということを連想したからであった。そのあな名は、彼がぼんやりして、いつも南の風に吹かれているように間が抜けているからだと、彼自身が註釈をつけたが、環は、友達が、誠一郎の暖かく、大らかな性格を讃えてつけた好意の『南風』だと思っていた。》(愛情の譜)



誰か夢なき:新東宝(1946)

「あたいだって、戦争さえなけりゃ大和撫子よ。ふゝ、さう云やあ、戦争中に誰かが、盛んに娘達を大和撫子つておだてやがって、その揚句、放り出しといて、今は日本国民の誇を捨てた女だの、闇の女だのって麗々しく新聞に書き立ててらあ、食わせも、着せも、住ませもしないで、なに言ってやがんでえ」(誰か夢なき・七)

 

《灰色の幻滅は敗戦のその翌日から彼を襲った。コペルニクス的転回を敢行したかつての神がかりの政治家が、官吏が、文士が悠然として、民主主義日本を高唱して居た。このことは灰色の幻滅となり、敗戦以上に彼を襲った。日本人に対する不信の気持であった。指導層にある日本人に対する不信は彼を勇気と絶望の昏迷に陥れた。自己の生きるべき全く新しい道を、彼自身の手に依って拓かうとする勇気は湧いたが、悲痛極りなきこの厳粛な敗戦の世相は絶望を呼び、彼を灰色の雲のなかに迷い込ませるのである。》(誰か夢なき・七)

誰か夢なき:新東宝(1946)

《日が永くはなったが、夕陽は、爆撃されて、残骸の鉄骨だけを残して焼跡に屹度した昔の軍需工場の向うに沈みかけて居た。》(誰か夢なき・十四)

 

《戦前から敗戦までに、でっち上げられた気違い沙汰の画一主義の鋳型に誰彼の区別なく職場の人間を追込む習慣から、婦長の田口たねも、微塵も脱けることが出来なかった。》(誰か夢なき・十六)

誰か夢なき:新東宝(1946)

「染まり易い国民性と権力に封して、極度に卑屈な服従心が骨の中までしみて居る。過去の日本人が持つた性格だ。君や僕が、もう一度矛を取るだろうか。(…)荒涼たる敗戦のなかに命を見つけた我々が子孫に戦争の惨苦を味わせようとするだろうか。日本人は国が滅亡に瀕して始めて自分を見付けたのじやないか。三田野、敗戦が持つて来た途方もなく高い絶望を見上げて溜息をつくな」 (誰か夢なき・十六)

 

 

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