
1952年(昭27)偕成社刊。
1958年(昭33)東京ライフ社刊、(『亡霊怪猫屋敷』と改題)
橘外男(1894~1959)は戦前、戦中を通して貿易会社で働く傍ら文筆活動を続けた。1938年『ナリン殿下への回想』で直木賞を受賞。戦後はカストリ雑誌から少年少女雑誌までの寄稿や連載も多かった。
この小説について、ウィキペディア「亡霊怪猫屋敷」の項目から下記に一部引用する。
<1951年(昭和26年)から1952年(昭和27年)まで藤崎彰子の筆名で『少女の友』に『山茶花屋敷物語』の題で連載された。1954年(昭和29年)に偕成社から出版される際、橘外男名義となり、『怪猫屋敷』に改題された。1958年(昭和33年)、映画化に合わせ東京ライフ社から出版される際、『亡霊怪猫屋敷』に再改題された。>
Wikipedia 亡霊怪猫屋敷

江戸時代の九州大村藩の城代家老だった石堂氏の屋敷を受け継いだ吉浦は、妹頼子の結核療養を兼ねてその夫の医師久住に診療所として貸し与えた。ほどなくして奇妙な事象が次々と起きるので、久住と共に近くの了福寺の和尚に相談すると、その口から昔のおぞましい事件の全貌が語られる。
囲碁の勝敗を巡る諍いから家老が若衆の小金吾を惨殺し、その後始末として失踪・行方不明と主張した。やがてその亡霊が母親の枕頭に現れたので、彼女は家老を問い質すが、けんもほろろに追い帰され、絶望して愛猫を前に自刃する。それ以降、家老の周辺に次々と異変が起き・・・
いわゆる怪猫物で、隣接の有名な鍋島藩の化け猫騒動にも類似するが、構成的に劇中劇のように、二つの時代に怪異が続くという恐ろしさが印象を強めていた。悪役が剣の達人なので、責める側の怪猫たちも何度か手こずるのが面白い。連載物としては丁寧に作られていた。☆☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1625197/1/3
https://dl.ndl.go.jp/pid/1646848/1/3
偕成社版の挿絵・口絵は伊藤幾久造

※参考ブログ
人生はB級ホラーだ:映画/亡霊怪猫屋敷
映画「亡霊怪猫屋敷 」予告編