
1956年(昭31)雑誌「読切俱楽部」に『掌の恋占い』掲載。
1947年(昭22)雑誌「男女}に『兄の手紙』掲載。
1953年(昭28)東方社刊、全13篇。

鹿島孝二(1905~1986)の文筆活動は戦前から始まり、戦中期から戦後昭和期に膨大なユーモア作品を残した。この単行本では13篇を集めているが、個々の短篇は独立完結している。終戦直後の6~7年間の世相を反映していて、米を始めとする生活物資の配給制や、戦災で焼失したための住宅難で、国民の大多数が日々の生活に追われていた時代だった。

ここでは青年男女が、会社へ通勤し、ダンスに興じ、恋愛を夢見る姿をそれぞれの青春風景として描いていた。鹿島孝二の場合は、特に湘南地方の空気感がどことなく自由で開放的に感じられた。戦後の安定と成長が続くと、戦中期の暗澹たる精神状況を語ることが少なくなって行くのだが、ここではまだ戦中の延長線上に戦後が始まったことを人々は明確に覚えており、その比較やギャップを生々しく思い出している点に心が惹かれた。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1723042/1/85
https://dl.ndl.go.jp/pid/8825956/1/28
https://dl.ndl.go.jp/pid/1353414
単行本の表紙絵は田中比左良。雑誌「読切俱楽部」掲載の「掌の恋占い」の挿絵は上西憲康、雑誌「男女」掲載の「兄の手紙」の挿絵は横井福次郎。

《二人とも、どちらかというと、刹那的な物質的な喜びよりも永続的な精神的な喜び、心の糧を求めていた。当時のシンガポールの雰囲気にはそういったものは求め難かった。絶望的な享楽気分が瀰漫(ずいまん)していた。宿舎の連中はそれに溺れていた。睦子の兄と順平とはそこに落ちまいとし、順平は短歌を語り、兄は俳句を談じ、互いの言葉の中にオアシスを求め、いつか互に支へ会っていたのだった。》(兄の手紙)
《貴方もその一人ですが、私が尊敬し信頼して交際して来た人は、申し合わせたように、現在は不自由しているようです。いゝ人が困る世の中なのでしょう。人間の内面的な深さの育成より、十円でも多く金を造った方が、幸いであるなぞという風の現代は厭な世相ですね。その中で、私の知合いだけは、例外なく清貧に身を置いているのは、やっぱり嬉しいことだと思いました。貧しくとも虐げられようとも、お互いに死の際に満足して瞑目出来るような心を保って置きましょう。》(兄の手紙)

《駅で女性を待つなんて、何と久しぶりの興奮であろう。何と楽しい興奮であろう。他人からは愚かに見えようが、この快感を知らぬ人間は憐れなものだと同情してやってもよかろう。》(未亡人)

《白方次郎は毎朝この汽車でH市へ通勤している。いつも大体発車五分前くらいに行って、空席にかけて雑誌をひろげる。彼は固い読物が好きで。殊に日本の再建を論じてゐる文章を熱情を以て読む。祖国再建といふことは彼の目下の最大関心事である。》(公僕と美容師)