
1916年(大5)贅六堂刊。前後全2巻。
作者の小川霞堤(おがわ・かてい)については以前、デビュー作と思われる『悲しき仇』(1911年・明44)渡辺霞亭と共作で読んだことがある。大阪の出版社との関係も多く、関西が活動の地盤だったようだ。この作中の舞台も大阪、神戸、堺、和歌山となっている。
絵画芸術に純粋過ぎる探究心をもって精進する薄省吾は、妻子を抱えながらも、生計のために絵画を売ることを嫌い、生活苦にあえいでいた。逆の道を歩むのが同門の画家香波であり、文展入選を繰り返して、売れる絵を多作し、放埓な生活を送っている。その香波が苦々しく思っていることは、かつて思いを寄せていた芳江が省吾の妻となっていることで、里の母親を焚きつけて、その仲を割いてやろうと企むのだった。
天才肌の画家省吾は、生活感覚の欠如とともに、夫婦間と言えどもコミュニケーション能力も稀薄で、かつ短気であり、せっかく出来上った作品も怒りの余り切り裂くという行為に及ぶ。借金の期限に苦しむ妻の芳江は泣く泣く実家に戻ろうとするが、家計の危機を救ったのは、謎の華族令嬢澄子だった。・・・
複雑な人間関係が絡みあう構成が巧みに組み合わされ、ヒロインの涙に同情しながらも、意志の疎通がままならない状態に気分を害したりもする。つまり作家の思う壺にはめ込まれたことになった。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/913079/1/4
口絵は野津春菜。

《大川の水は洋々と流れて、眼の下を小舟が遡ったり下ったりした。対岸の家並は、三角形、四角形、長方形……様々の輪郭を青天に描いて、赤い煉石造の裁判所の塔の真上に、一片の白雲が浮いて居た。虹のやうな上流の天神橋、浮島のやうな下流の中の縞、それを跨いだ難波橋などが、一服の活画のやうに眺められたが、澄子は気色どころの騒ぎではなかった。》(前篇・五十九)
「さうです、描いて見たいな、と思った時が描く時機の到来した時なので、無論、その時は文展へ出すためだの、社会の好評を得たいが為めだの、そんな野心があって描くのぢゃありません。描きたいと思ふ物、感じ、気分……そんなものが遺憾なく画面へ現はし得たら、それで能事足れりなのです、描写の方法は自ら研究して、省吾式と云ったやうなものを発明しては居りますが……ですから、自分で描いて自分で審査をする、遺憾なく描けたと自分で満足し得たら、それで満足なのです、世間の人が拙いと云はふが、駄作だと貶さうが、そんなことには聊かも頓着しない意(つもり)です。」(後編・十二)
※『恋しき仇』 小川霞堤・黒法師(渡辺霞亭)共作