
1955年(昭30)1月~、雑誌「読切俱楽部」に連載。
1957年(昭32)同人社刊。
単行本には表題の長編『大熱風』のほか、3つの短篇を収める。いずれも戦中から戦後にかけての混乱の時代を描いている。

『大熱風』は終戦直後の愛と冒険と贖罪の物語。ヒロインの君江は都会での生活を断念し、幼時を過ごした瀬戸内の小島の実家の旅館春山楼に戻ってくる。そこには留守番の老夫婦とともに、果樹園の小屋に住みついた謎の男大島がいた。彼は精力的に働き、戦災孤児たちの面倒を見たりして、村民の評判も良かった。君江はいつしか彼に心が惹かれるが、実は大島は台湾独立軍へ加担し、警察官を殺傷して逃亡中の男であることがわかる。窮地に追い込まれた大島は、嵐の夜に君江を伴ってヨットで島から逃亡を図った。・・・
やむを得ずとはいえ、人を殺傷した事は彼の心の重荷となっていたが、偶然その被害者の遺児たちの面倒を見ることになり、生きる目標ともなる。しかし軍の仲間たちを助けるために奇襲作戦に加わって・・・
彼らにとって瀬戸内の島の存在は懐の広い古巣のような安心感を与えてくれた。

併載の『反抗』は、作家牧野吉晴(1904~1957)本人が語る体験談の形式。終戦の年は牧野は40代、講談社の雑誌記者をしていて、陸軍通信学校への訪問記事の取材に訪れる。敗色濃厚な状況でも、物資不足に苦しみながら軍務に励む人々がいる一方で、モラルの綻びも顕在化し、袋小路に追い込まれている日本人の姿を記録している。そして牧野自身も、終戦イコール自由万歳とは決して思えない、重苦しい心境にあったことを記録している。
次の『天鼓』とは馬の名前である。終戦の年の9月、千葉県九十九里海岸の防衛部隊の解散によって、提供していた愛馬の返却を受けた達彦は、馬と共に東京の自宅に歩いて戻っている。その途中での自分の一家、つまり戦中の論客政治家、中野正剛を父とする家族の悲劇的な転変を回想しつつ、先々での人々との交流を描いている。特に栄養失調でやせ細った馬をいつくしむ人々の姿が印象的だった。
最後の『天路の虹』も終戦によってロシアに抑留された兵士桜庭の体験談。強制労働の末に栄養失調で倒れ、コーカサスの捕虜病院に収容されるが、日本人捕虜の他に、ドイツや東欧の捕虜の病人も入っていた。軽症のドイツ人ゲオルクが担当看護人として起居を共にするうちに交友を深めて行く。またロシア人の若い女性軍医ニイナは職務に忠実ながらも丁寧な医療を続ける。それは勝者と捕虜という関係よりもはるかに人間性に富んだ姿勢だった。一時桜庭は自暴自棄になって、生水を飲んで重篤に陥るが、ゲオルクとニイナはそれぞれの立場から、桜庭の危機を脱するための献身的な世話を怠らなかった。人の温かみを感じた一篇だった。☆☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1723021/1/162
https://dl.ndl.go.jp/pid/1645779/1/3
雑誌連載中の挿絵は、下高原健二。
《私はすでに大東亜戦争が、日本の敗北とともに終りに近づいていることを知った。よもやが、真実となって、私の胸に去来しはじめたのである。しかし、私は、多くの庶民がそうであったように、あれほどまでに、無残な敗北を、喫しようとは思っていなかった。耳に入ってくる幾多の情報からの判断は、ついていたのだけれど、理性と感情が一つにならなかったからである。》(反抗)
「日本が負けるのをこの眼で見るよりも、いっそ爆撃で死んだ方がましかも知れません」
《冗談とは受取れぬ彼女の真剣な表情に、私はヒヤリとした。それが、当時の、男女を問わぬ若人の決意だったからである。すくなくとも、一億玉砕を叫んでいた軍のいう通りになっていたならば、真先に屍を敵前に居さらすのは、この純情な青少年たちであったに違いない。》(反抗)
「人間の愛がきわまるところには、国境もなければ、民族の隔てもない…」(天路の虹)