
1897年(明30)松声堂刊。
タイトルから連想すれば怪談物になるが、物語の内容は、人を殺めてしまった女性が事件の発覚を逸れながらも、折に触れて被害者の亡霊の幻影に苛まれ、精神的に追い込まれていく過程を描いたものだった。この時期にはまだ文語体が主流で、言文一致体の定着まではあと数年かかる。
ヒロインの五百枝は貧乏士族の娘だが、勝気な性格で、学問や芸事を修め、商家の道楽息子の泰三と結婚した。根が風流人の泰三は妻を疎ましく思い始めるや、妾を持って家に居つかないようになった。五百枝は次第に嫉妬心を燃やし、ある日妾の家に押しかけ、口論の末に彼女を刺殺する。丁度その時、近所で火事があり、その妾宅にも燃え移ったため、殺害が露顕することなく済んだ。しかしそれ以来、事あるごとに被害者の亡霊に悩まされ、更には夫の泰三が病死し、妊娠して生まれた子供もまるで呪われた様に不具の未熟児ですぐに死んでしまう。そして婚家の親族から嫌われ、離縁される。実家に戻っても貧しい家計の中で肩身の狭い思いをする。

この辺が彼女の境遇のどん底だったが、伯父の伝手で教員の働き口が見つかると、状況は好転し、自立してもいい位の高給を得るようになる。さらに再婚話も進み、有名な文学士と世帯を持つに至る。不思議なのは、運命の上昇期には例の亡霊の出現がめっきり少なくなる。幽霊の幻視は精神の作用であることを裏付けるようだった。しかしその先に彼女の転落と慙愧に追いつめられる結末が待っていた。・・・

明治から戦前までの女性が虐げられた要因の一つは、男が公然と妾を持つことが容認されていたことと、反対に女が不倫をするのは刑罰に処せられたという格差があったことにある。この作品でも妾に入れ上げて、主婦を虐げる男どもの性向をケロリと正当化していることが事件の核心となっていた。殺人の罪は消しようがないが、同情の余地は十分にあったように思う。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/885550/1/1
口絵は後藤芳景、表紙絵は木下橘巣(?)
《夫の心は狂はずとも、妾が狂はす限りは、何所まで狂ふか分らぬ、樹は本と静かなものなれど、風之れを吹けば狂ひ騒ぐ、して見れば夫よりは妾の方が憎し、と妙なところへ理屈つけるも流石夫婦の中なりけり。妾憎しと思ひ詰めた日が、五百枝の心に大悪魔の入りし日にして、此後十何年と云ふ永い苦患を生ずる第一日なり。》(下燃え)