
1921年(大10)4月~ 中央新聞連載。
1922年(大11)新潮社刊。
1929年(昭4)新潮社、現代長編小説全集第15巻(吉井勇篇)所収。
吉井勇(1886~1960)は何よりもまず歌人であり、劇作家だった。35歳のとき初めて長編小説に手を染めたのがこの『狂へる恋』である。
主人公の扇之助は、歌舞伎役者の息子として幼い頃から芝居の世界で生きてきたが、新劇運動の潮流に乗り、西欧の翻訳劇も出し物に取り上げる「無形劇場」に加わっていた。その彼に毎日のようにファンレターを送ってくる匿名の女性ファンがいた。その文面は恋情にあふれたもので、不気味にも思われ、扇之助はまともに取りあおうとはしなかった。その女性は、未亡人の有閑マダムの京子といい、意にそぐわぬ金満老人と結婚したことを怨んで、気ままで奔放な交遊遍歴を送っていた。扇之助とは彼の舞台姿が初恋の人と似ていたからだという。

役者仲間の老優莚車の誘いで、扇之助は新しい一座を立ち上げることとなったが、その強力な資金源も例の未亡人京子だった。一方で扇之助は芸妓の君丸と同棲を始めており、その身請け金も京子からの借金だった。京子は彼に愛を受け入れるよう迫るのだが、彼は応じない。一座の九州巡業に出かけるうちに君丸は結核で死んで仕舞う。そして京子も自暴自棄に陥り、身上を持ち崩す。
明治・大正期の演劇界の動向、特に翻訳劇と歌舞伎や狂言を演目の中に交えて公演するスタイルも少なくなかったようで、興味深かった。狂おしい恋情の背後には、因縁話が隠れていて、人の心情が操られていたというオチは芝居がかっているように感じた。☆☆☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/970134/1/3
https://dl.ndl.go.jp/pid/1223913/1/230
口絵および挿絵は名取春仙。
《あなたはやつぱりあの薄情なオペラ役者のやうに、恋よりも御自分の愛――と云ふよりは御自分の人気の方が大事でゐらつしやるのでせうね。それであなたは世間の噂や新聞の種になるのを怖れて幾度も差し上げたわたくしの手紙にも、ちつとも御返事をして下さらないのでせう。それは役者としてのあなたには、無論芸も人気も大事でせうけれど、しかし役者と云ふことを離れて人としてのあなたには、恋はそれ以上に大事なものではないでせうか、まして女のわたくしの身になつて見れば、恋以上のものはこの世の中にございません。少なくとも今のわたくしには恋より外には何にもないのでごぎいます。もつとはつきり申し上げれば、あなたより外に何にもないのでございます。》(楽屋の人々)
《名前も、処も、素性も隠して、唯謎のやうな言葉を相手の男に投付けて、自分は遠くの方で嘲るやうに笑ってゐる……。その誇らしげに笑ってゐる女の顔が、彼の目には、まざまざとそこに見えるやうな気がした。》(恋の隠れ家)

《彼女は三十ニの今午になるまで、彼女の一家の事情から思はぬ人のところへ嫁いで来た不満と、愛のない夫を持つたものの寂寞と、美しい肉體を持って生れたための放縦とから、亡くなった夫が遺して往った巨万の富があるのを好いことにして、金の自由になるに任せて殆んど自暴自棄と云つても好い位な荒んだ生活をつづけて来た……。そしてまだ夫が生きてゐるうちから、夫の外に恋人として選んだものが幾人あつたか知れなかったのだが、何故かこの扇之助ばかりは、他の幾人もの人達と違つて、彼女に底知れぬ深い悩みを覚えさせた。最初はほんの役者と云ふものに対する戯れの恋だつたものが、時が経つに従ってだんだん胸に食ひ入ってゆくやうな愛着の念が生じて来て、今ではもう如何すろことも出来ないまでに育くまれてゐた。》(模型舞台)
《咄嗟の間に、彼の胸には、女の心と云ふやうなことが考へられた。運命と云ふやうなことも考へられた。死と云ふやうなことも考へられた。まるで、自分と云ふものゝ値を知らずに、唯運命のなすがまゝになってゐる女――彼はその時さう云った女の心持が始めて分つて来たやうな気がして、不図狂ほしい京子の恋ごゝろが憐れになった。》(急行列車)
あの山百合の花の好きな、その花のやうに寂しい女は、今如何してゐるだらう(長崎まで)
「いや、もうあっしには人気だとかなんだとか、そんなことを考へるやうな娑婆っ気はすっかりなくなってしまひましたよ。つまらねえぢゃアありませんか。女子供に騒がれて、何だのかんだの云はれたところで、結局それが何だって云ふんです。全く人気なんてもの位頼りにならねえものはありませんぜ。」(稲妻の如く)