
1911年(明44)実業之日本社刊。
筆者の東草水(ひがし・そうすい、1882~1916)は実業之日本社の発行していた「日本少年」などの少年少女向け雑誌の編集に携わっていた。29歳のときに書いたこの作品は、中学生の傳次を中心に、兄の高校生団助、姉のキサ子、弟の二三作の助川一家の夏休みの生活風景を、少年の視点から描いている。特に家族全員で海辺の別荘地へ避暑に出かけ、のびのびと過ごす様子は現代では珍しくなった大自然と暮らす時間の悠久さも感じさせた。

さらにこの本には、後年日本画壇の巨匠となった川端龍子(りゅうし、1885~1966)が多数の挿画を描いており、画文集のような体裁になっていた。この時期は彼も20代で、実業之日本社の雑誌のための挿絵画家として活躍していた。スケッチ風のユーモラスなタッチである。☆☆☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/887564
挿絵は川端龍子。

《母親から散々小言を喰った傳次は、何時の間にか茶の間に胡坐をかいて、桃を喰ってゐる。姉のキサ子は、ひどいわ、いけないわ、よくってよ、を二言目には連発しながら、桃の皮を剥いてゐる。
「いけないわ、傳さん、そんなに食べて」
「よくってよ」傳次はワングリと馬のやうな歯を赤い桃の肉へ喰ひ込みました。
「ひどいわ、口真似なんかして、もう剥いてあげないことよ」(午後)

《傳次は、鞄から紙と鉛筆を取り出して、友人の芋山へ宛てて手紙をかいた。
……海波(かいは)漫々たり駿河湾。右には三保の松原長蛇を逸する如く、軒端には逆しまに懸る白扇(はくせん)と云ふべき芙蓉峰、莞爾たり……
四五日前から作文の本を漁って、これだけは造(こし)らへておいたのだ。後は傳次一流の言文一致体。
やって来給へ、吾人海国男児の意気を発キするこの時にありにあらずやだ。失敬。》(失敬)