明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『新編ふらんす物語』 永井荷風

 

1915年(大正4)博文館刊。長年積ん読状態だった本=積読書庫に入れたままでこの世を去る見込みだったもの、を一つ読了できた。純文学作品は物語とは一線を画して、自己の心的感興の移り変わりを書き綴っていくものだということを体得した。

エリート官僚を父に持つ荷風は20代にそのコネを使って米国とフランスの日系銀行で働きながら異国での生活を満喫する。特にフランス文化へ傾倒し、四季の移り変わりの中で街路をさまよい歩く心情が鋭い感性で個々の小文に綴られている。帰国直後の1909年に出したものは、風俗紊乱の廉で「発禁」となったが、どこがそうなのかは今では読んでもわからない。今回読んだのは1915年に「新編」として刊行されたもので、本編の小文集の外に附録として「をさめ髪」など3篇の世話物的掌編と「欧州歌劇の現状」などの文化紹介記事が収められていた。特に世話物の方は、当時の翻訳物とは正反対に、人物名はフランス人、場所はパリ、しかし服装は和装、建物は木造家屋、風物は日本(例えば劇場は寄席、カフェは茶屋)として描かれていて、奇妙な違和感を覚えた。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は徳永柳州。

dl.ndl.go.jp

 

《生きやうと悶(もが)く、飢ゑまいと急(あせ)る。この避く可からざる人の運命を見る程、悲惨なものはあるまい。(---)単に「生活」と云ふ一語の為めに目覚しく働いて居る人を見るのが、如何に辛く、如何に痛(いたま)しく感じられるであらう。往々にして、自分には、芸術も、政治も、哲学も、諸有(あらゆ)るものが、その表號する聲は何であっても、とどのつまりは、乃ち、人を飢ゑざらしめん為めに、存在して居るに過ぎぬやうに思はれてならぬ事がある。》(除夜)



「吾々がニューヨークで、高架鉄道や荷馬車(ワゴン)の響で、気が狂ふかと思ふほど頭痛のしたのが、このパリ―ぢゃ、何処へ行っても女の笑ふ声にビオロンの優しい音色だ。ニューヨークの絶望時代と今日の境遇とを比較して見給へ。僕は無限の感に打たれるよ。」(再会)

 


《自分は寝台の上から仰向きに、天井を眺めて、自分は何故一生涯巴里に居られないのであらう、何故フランス人に生れなかったのであらう。と、自分の運命を憤るよりは果敢く思ふのであった。(---)あゝ自分は何故、こんなにふらんすが好きであらう。》(巴里のわかれ)

 

《遠く独り、欧米の空の下に彷徨ふとき、自分が思想生活の唯一の指導、唯一の慰藉となったものは、宗教よりも、文学よりも、美術よりも、寧ろ音楽であった。(---)かくも偉大なる泰西の音楽は、無学無経験の自分をしてさへ、遂に朧気にもかかる思想の一端に触れしめるに至った事を、自分は自分の生涯の最大幸福と信じた。》(西洋音楽最近の傾向)



 

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