明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『伯爵邸の奇怪なる事件』 大久保北秀

伯爵邸の奇怪なる事件:大久保北秀

1936年(昭11)大京堂書店刊。

 

 実在した警視庁の名探偵、正力聰之助(そうのすけ)の活躍を記述する10篇。筆者の大久保北秀(ほくしゅう)も警察関係者だった模様。聰之助の口述を北秀が書きとめたものだが、ほとんど実録に基づいていて迫真性がある。苗字は異なるが警視庁捜査課の警部として小泉聰之助という名前は専門誌の「月刊警察」や「捜査研究」にも何度か登場している。探偵読物としても筋立てや構成に工夫が見られて、引き込まれるような手際良さがあった。圧巻は怪盗鼬の権次の捕物劇で、震災前の浅草十二階や非合法に実在したアヘン窟のことなど興味深かった。☆☆



国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1022875

 

 

『唐人お吉』 井上友一郎

唐人お吉:井上友一

1949年(昭24)11月~1950年(昭25)雑誌「改造文藝」連載。

1952年(昭27)講談社刊。講談社評判小説全集 第10巻所収。

 

唐人お吉:井上友一郎2

 幕末の動乱期に、下田に開設された米国総領事ハリスのもとに妾として通った唐人お吉の波乱の生涯を描く。唐人という呼び名は、鎖国が続いた江戸時代の庶民たちにとって、あらゆる異邦人に対するもので、彼らに身体を売る行為は奇異な目でさげすまれた。お吉自身にとっても好んでそうしたわけではなく、半ば国難を救うためという大義名分と、恋人に棄てられた自暴自棄からと作者は語る。お吉はまだ若い、気骨のある芸妓で評判だったが、憂さ晴らしに酒浸りで酩酊することが常態化する。赤線香をかみ砕き、保命酒をギヤマンのグラスで飲みふける姿は印象深く描かれる。後年、思い続けた鶴松と世帯を持ち、幸福な生活を送ることになるのだが、再び酒席に引き摺られ、悪癖がぶり返したとなると破滅型の人生は救いようがなくなる。これも悲劇の一生だったのだろうか。☆☆☆



国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/11206083/1/36

https://dl.ndl.go.jp/pid/1352919

雑誌連載時の挿絵は木村荘八

 

唐人お吉:井上友一郎3

「きち。――解ってゐる。そちは罷り間違へば死ぬ気であらう。この伊佐とても、きちの立場に身を置けば、意地と情け貫くために、潔くわが手で果てるかも知れないのだ。しかし、きち、よく考へると、死ぬは一時だ、行き抜くことが人間の宝だぞ。」(第三章 あけがらす)



《謂はば、わが心が、わが心をあざむいてゐる――真実は何處にあるのだ。おきちの心は二重仕掛けだ。おきちは、もとより柿崎の玉泉寺へなど死んでも行かうと考へてはゐないのだった。けれど、それを根底からぐらつかせた第一撃は、あの優柔不断の鶴松のおのゝきである。(…)恋してはならぬ者を恋したむごたらしい悔恨が、いまや彼女の人生を雪崩のごとく圧しつぶし、抹殺するかの痛ぶり方で、おきちをキリキリ舞ひさせてゐる。》(第四章 夢の泡雪)

 

唐人お吉:井上友一郎4

《世間を捨てたおきちにとって、国家も公方さまもないわけである。やれ国難の、国家の大事のと云ふけれど、それは悉くおきちには無縁のことだ。(…)おきちの不幸も仕合せも、すべて外界から絶縁されたおきち一人の身のうちで生起してゐる。》(第六章 ひとり寝)



《おきちは、コン四郎が恋しいのである。自分の青春を埋没させた当の相手であったけれで、いま、このやうに、そこから自在に解放された身の虚しさを考へると、むしろ一種の呪縛に遭って、わが身を哀しい情念で捉まへてゐた日が、どんなに満足だったか知れやしない。》(第八章 誰が袖)

 

 

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『風雲将棋谷』 角田喜久雄

風雲将棋谷:角田喜久雄

1939年(昭14)大日本雄弁会講談社刊。

1950年(昭25)矢貴書店、新大衆小説全集 第6巻 角田喜久雄編所収。

 

角田喜久雄出世作の一つ。何度も映画化されていた。将棋谷とは信州飯田の山奥の隠れ里だが、蝦夷の民の一部が移り住んだという。村人はこぞって将棋を好んだが、その村に眠る秘宝をめぐって争う人間たちを描く。蠍道人、女侠客、お尋ね者の雨太郎、岡っ引の佛の仁吉とその娘お絹、そして将棋谷から江戸に出てきた朱美と龍王太郎。よく考えてみると荒唐無稽な設定であり、展開なのだが、個々の思惑と欲望の絡み合いが読む者を引きつける。伝奇小説の典型だと思った。☆☆

 

風雲将棋谷:角田喜久雄2

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1708094/1/70

口絵は志村立美、挿絵は山崎百々雄。

 

 

『生首美人』 フォルチュネ・デュ・ボアゴベ、水谷準・訳述

生首美人:ボアゴ

1949年(昭24)1月、雑誌「苦楽」に掲載。

 

 水谷準は戦前から戦中期にかけて長らく雑誌「新青年」の編集長として名を知られたが、探偵作家としても活躍するとともに仏文科の語学力を生かして、フランス物の推理小説の翻訳も多く手掛けた。このボアゴベの作品もその一つだが、新聞小説としては短かく、筋の展開は歯切れが良すぎるので、おそらく抄訳ではないかと思われる。

 

生首美人:ボアゴベ2

 原題が Décapitée(デキャピテ)=「首を切られた女」という訳語になる。19世紀のパリでは四旬節の祭礼騒ぎで仮装舞踏会があちこちで開かれていた。そのどんちゃん騒ぎの中に届いた荷物の中身が美人の生首だった。セーヌ河岸から丘の上に伸びる広大なパッシーの邸宅に住むロシア貴族とその令嬢の謎の暮らしぶりにまで話が及ぶと、ルパン物の「金三角」や「虎の牙」の舞台を思い起こさせ、ボアゴベはルブランに先行してミステリー環境を作っていたのかと親近感を覚えた。☆☆

 

生首美人:ボアゴベ3

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3546630/1/11

挿絵は宮田重雄

 

 

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『宮本洋子』 里見弴

宮本洋子:里見弴

1947年(昭22)苦楽社刊。

 

日中戦争の激化してきた昭和14年から終戦に至るまでのいわゆる戦中期を過ごしたヒロイン宮本洋子の生活と心情の移り変わりを描く。一流の音楽家同士で結婚したが、夫は召集後間もなく戦死する。その直前までの宮本家は各分野の文化人が出入りするサロンの華やかさがあった。洋子もフランスに留学したピアニストであったが、戦況の悪化によりそうした芸術活動も抑圧された。この時代の知識人たちが抱いていた反戦思想を表面に出せば、投獄あるいは拷問で犬死になるしかなかっただろう。夫を失った悲しみに耐えながら、疎開先で農業にいそしむ姿は崇高にも見えた。終戦の放送が彼女の精神に与えた雷鳴のような輝きは想像を絶していたに違いない。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1135124

 

宮本洋子:里見弴2

《将校の未亡人たちが先立ちで、かねて覚悟はして居りましたとか、武人の妻たる者の本懐だちか、遺児を軍人に仕立てて必ずどうするとか、名誉だとか、有難涙がこぼれるとか言ふと、兵隊の未亡人までがその尾について、肚にもない、強がった口を利いてみせる。私はがたがた震へさうに腹が立って、一体うちの欣さんが弾丸にあたって死ねば、何が名誉で、何が有難いのか。靖国神社に祠られれば、どうだといふのか。それより、一生一緒に暮した方が、どんなに嬉しいか知れやしない。》(八)



「それァ、書き方にもよるさ。(…)そこは、餅屋は餅屋でね、うまく検閲にひッかからないやうな書き方だって出来るんだし、かふいふ時代に生れ合せた文学者として、はっきり戦争といふものの実相を見極めて置くことは、自分自身に対する義務だとも思ふんだ。」(十一)



 

『新編 捕物そばや』 村上元三

捕物そばや:村上元三

1955年(昭25)6月~1956年(昭26)5月、雑誌「読切倶楽部」に連載。過去に別の雑誌に掲載されたものの再掲載を含め計12篇。

 

 村上元三が生み出した捕物帳の主人公 加田三七のシリーズは作者自身も愛着があったようで、終戦直後に書き出してから20年のうちに80作を越えていたという。ほとんどが雑誌掲載が初出だったが、この「新編」として連載した作品は作者の存命中は単行本化されなかった。今年(2023)にようやく捕物出版という会社で全篇出版された。

 元八丁堀同心だった加田三七がそば屋を始めたのは明治に入ってからで、警察の部外者ながら事件が起きると首を突っ込むのが性分。こうした人物像が出来上がると各篇の物語の中で自由に動き回る感じが出てくる。事件の関係者のドラマの外側で、ちょい役で出て解決のヒントを与えるだけに過ぎない場合もある。あるいは現役だった同心時代に遡って、隠居している元同心の父親まで登場させたりして、三七ワールドの広がりも見せてくれる。なかなか読んで楽しいシリーズだと思う。☆☆☆

 

捕物そばや:村上元三4

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1723024/1/34

挿絵は山本武夫。

 

*参考サイト:加田三七捕物帳について

https://www7b.biglobe.ne.jp/~tdk_tdk/kada37.html

 

*捕物出版とは。

http://www.torimono.jp/about_us/

 

 

 

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『血風呂』 平山蘆江

血風呂:平山蘆江

1934年(昭9)非凡閣、新進大衆小説全集第20巻 平山蘆江集 所収。

 

 平山蘆江(ろこう)(1882~1953)についてはあまり語られることがない。記者作家として新聞社を転々として、演芸・花柳界の著作が多いが、歴史物、あるいは怪談物も知られている。この作品はたまたま手にした今となっては珍しい長篇伝奇小説だった。

 タイトルの「血風呂」とは女体の美を保持するため、若い男の生き血を風呂に入れて浴びるという京都の公卿家に伝わる秘法という。旗本の次男坊の主人公源三郎は美男剣士と評判で、江戸では公家のご落胤、医師の娘、水茶屋の娘の三人から思い慕われていた。彼女たちは浮世絵の美人画に彫られるほどの美貌ながら、江戸から出奔しても源三郎への一途な思いを抱き続ける。その女の一念の激しさが物語の骨格かもしれない。和歌や端唄、音曲を交わす場面も多い。一見するとエロ・グロとも思える場面だが、時代物の妖艶さに包まれると一風変わった様相に見えてくる。☆☆

 

血風呂:平山蘆江2

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1217851

挿絵は木俣茂彌。



「あしたに紅顔あって夕べに白骨となる。無常迅速の現世に、あくせくして居ませうより、御佛の懐に、安々と抱かれたら、此上の仕合せはございません。死にたい時に死ねるのを大往生と申し、死にたくなうて死ぬるのを煩悩餓鬼と申し、死にたくても死ねないのは現世の大苦艱と申します」(土手八丁)

 

 

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