明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『秘中の秘』 菊池幽芳

秘中の秘:菊池幽芳

1913年(大2)金尾文淵堂刊、前後2巻。

 明らかに英国の冒険小説の翻訳だが、原作者については明記されていない。登場人物や地名のほとんどを和名に言い換えている点を除けば、風物などは現地のままとなっている。医師の堀彦市を語り手とする一人称記述だが、格調高い文語体(下掲例)の寄り付きにくさに慣れるまでやや時間がかかった。

 

秘中の秘:菊池幽芳、鏑木清方・画

 知人の商船長萩原に誘われて地中海を航海中に、時代を経た難破船に遭遇する。300年前の帆船で座礁していたものが何らかの拍子で漂流したのだった。船内を検分すると、金銀の財宝が見つかったが、さらに狂人となった老人が生存しているのを保護する。この船は海賊を討伐する船で、船長の婆娑妙(バーソロミュー)の航海日記に、英国に財宝の収蔵庫を示す記述が暗号の形で残っていた。この船は曳航する途中で沈没する。

 

 帰国した堀医師は古城博士に古文書の解読を依頼し、六斤腿(ロッキンハム)という駅から田舎にある長者屋敷と呼ばれる古い館が婆娑妙のものだったと断定し、仲間三人で宝庫の発見を目指して作業に取り組む。しかしながら謎の男たちの一団が、同じ情報を別ルートで入手し、彼らと対抗するように暗躍していた。・・・

 

秘中の秘:菊池幽芳、鏑木清方・画

 メインは宝庫の発掘なのだが、隠し部屋の多さに翻弄され、暗号の解読を巡る知恵比べ、屋敷からの地下道での冒険、悪人一味に加担させられた美女の歎きと主人公の恋の苦悶、等々、伝奇小説の要素盛り沢山の長編だった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/945437/1/2

https://dl.ndl.go.jp/pid/945438/1/2

口絵・挿絵は鏑木清方。

 

秘中の秘:菊池幽芳、鏑木清方・画

《年の頃は二十位なるべく、衣服は至つて質素の、粗末なるものなりしかど、その着こなし振りの品よきと、今入来れる態度の温雅なるより見るにたしかに相当の教育を受け、良家に人となれるものなるぺしと思はる。顔は正真の卵形にて、大理石を刻める如き鼻、小さなる形善き口、弓形の眉、半ば驚き半ば恐るゝ如く余を見入れる、その黒き大きなる眼、何れが余を恍惚たらしめぎるものなし。されどこの女の美しさは、陽気なる美しさにはあらず。寧ろ陰気なる美しさなり、沈みたる美くしさなり。その心の底に何か秘密の潜み居るが如き、悲しげなる面影のどことなく浮び居れるなり。》(奇怪なる美人)

 

「多くの探険者が成功した跡を考へると、彼等はあまり手掛といふことに重きを置いて居らんですな、只単にその場所へ行って宝石なり金なりを埋める人の気になって考へるのです。そして自分ならばこゝへ隠さうと考へついた場所を探して見るのです。これで意外に成功して居るものが多いので、」(探偵来)

『毒環』 大下宇陀児

毒環:大下宇陀児、林唯一・画

1933年(昭8)9月~1934年(昭9)5月、報知新聞連載。

1949年(昭24)大日本雄弁会講談社刊。

 北海道で不正な手段で巨万の富を築いた島崎は、池袋に屋敷を構えていた。彼は昔の経緯を知る黒瀬という男から金をせびられていた。その脅迫状はいつも葉書で届き、黒瀬の所在は不明のままだった。今回も指定の金を鉄道小荷物として新宿駅留めにしておけば、黒瀬が受け取るはずだった。島崎は昔馴染みのカフェの主人権堂に相談し、交代で張り込みをして黒瀬の尻尾を掴もうとした。しかしこの脅迫は元々権堂が黒瀬の名を騙って仕組んだものなので、どう誤魔化すかを考えながら、駅の空き地に行くと、島崎が殺されているのを発見する。彼は慌てて逃げ出すが、途中で藤沼弁護士とその妻ルリ子とぶつかって口論になる。

毒環:大下宇陀児、林唯一・画

 権堂はそのまま逃げ去り、藤沼は翌日の新聞でその殺人事件に興味を抱き、調査を始める。そして妻のルリ子を男装させて運転手として島崎家に送り込む。島崎家については、家令の山城、クビにした運転手の樫田、夫人の許に入り浸る踊りの師匠沢村金十郎、不気味な歯科医の杉浦などが関係し、どれも怪しくて警察の捜査は絞り切れない。そうこうする内に藤沼弁護士は尾行の途中で暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負ってしまう。ルリ子も正体がバレて、事件の探偵を引き継いだのは意外な人物だった。・・・

 

 加えてカフェの主人権堂による黒瀬の殺害という第二の事件が並行するが、こちらの方は最初から犯行が明示されて、「いかに追いつめられるか」という倒叙の要素も加味され、解明まで手間暇がかかる大作になっていたと思う。☆☆☆

 

毒環:大下宇陀児、岩田専太郎・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1705852

表紙絵・口絵は林唯一。新聞連載時の挿絵は岩田専太郎。




『俺の拳銃は素早い』 ミッキー・スピレイン

俺の拳銃は素早い:ミッキー・スピレイン

1956年(昭31)潮書房、ミッキー・スピレーン選集第4巻

 向井啓雄・訳。ミッキー・スピレイン(Mickey Spillane, 1918~2006)は第2次大戦後の時期のアメリカで、ハードボイルド小説を量産して一世を風靡した。一匹狼の私立探偵マイク・ハマーを主人公としたシリーズが有名。この『俺の拳銃は素早い』(My gun is quick) はその2作目となる。タイトルがぶっきらぼうなほど派手な銃撃シーンが多いわけではなく、飲酒と煙草、ニューヨークの街を車で縦横に乗り回す都会のペーソスを感じた。

 

 場末のバーで出会った赤毛のナンシーという娼婦が、イタリア出身の大男に乱暴されそうになるのをマイクが助ける。彼女に好感を持ち、そのみすぼらしい姿に、服を新調しろと金をやったが、翌晩彼女は車に轢かれて死亡する。身元が判明せず、無縁仏で処理されるのをマイクは嫌って、その身辺を洗い出そうと動くうちに、大規模な売春組織とその手先によって手痛い目に会わされる。唯一の友人で部長刑事のパットの協力を得ながら、巨大組織に立ち向おうとするが・・・

 

 闇討ちに逢って酷い打撲傷を受けながらも、丸一日寝ただけで復讐に出かけるなど、やや不合理な治癒力があったり、パットとの皮肉やあてこすりの応酬など、アメリカのギャング映画に通じる親近感を感じた。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1694539/1/6

 

My gun is quick : Mickey Spillane

「一言も言わないでよ、マイク。好きになる方はあたしにまかせて。あたしは駄目な女だし、自分でも知っ てるわ。あたし、あなたの生活に少しでもでしゃ張って行く気はないから、あたしの気ままにあなたを好きにならせても大丈夫よ。義務なんてものは負わせないわ、ハマーさん。あたしはただ、かたわらに坐つていて、あなたの方に投げキッスを送るわ。」 

 

 

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『不思議の娘』 三宅青軒

不思議の娘:三宅青軒

1905年(明38)大学館刊。

 東京の芝山内で孤児院(現代なら児童養護施設)を運営する吉本露子は32人の男女児を抱え、資金不足に悩んでいた。ある夜、四歳の女の子慧子(けいこ)が置き去りにされているのを保護したのだが、育ちが良く裕福な家庭で何らかの理由で養育が困難になったためと推測された。院としては、その子に持たされていた大金で窮地を脱した。

 

 孤児院の協力者である、清川氏が買った絵に描かれた女の子が慧子に似ているということで、書生の石井が探索を始める。根岸の茂山という画家の作だと突き止めるが、茂山はその詳細については口を固く閉ざすだけだった。そのまま13年の年月が過ぎ、慧子は17歳になったが、彼女を巡る謎は解けないままだった。・・・

 

 作者の三宅青軒(1864~1914)の活動は明治後期に集中している。50歳での若死にだったが、「探奇小説」と銘打った作品が多く、犯罪の推理ではなく、人物の境遇を巡る謎を、基督教関係者のややバタ臭い雰囲気の中で解明していくスタイルだった。しかしながら、教義の説教味は極力抑えられていて、素直に読み進むことができた。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/888055/1/1

 

「先づ朋友にならうぢゃ無いか。朋友として同情者の一人になって、夫れから緩々とお話し申しすることにしやう。世には不思議な力がある、夫れは、理屈以外の『愛』といふものです、『道楽息子程可愛い』と、さア此微妙な力を知る人は、絶望の沙漠に美しい花を見つけることが出来るのですな。」(三十一・意外の秘密)

 

「其お尋ねには今暫くお返辞が出来ないのです、ハイ、あなたが御本復遊ばしたら、何もかもお分りになることが出来て参りませう。まア夫れまでは御免遊ばせ」(五十八・真相の推測)

 

『薔薇色の道』 中村武羅夫

薔薇色の道:中村武羅夫

1935年(昭10)新潮社、昭和長編小説全集第6巻。

1955年(昭30)東方社刊。

 成功した実業家高濱惣造の御曹司陽一郎は、28歳になっても仕事につくことなく、同じ富裕層の道楽息子たちと日々遊び暮らしている。盛大な誕生パーティの後も、仲間と銀座に繰り出したのに飽き足らず、横浜のキャバレーまで遠出した。そこで可憐な女給に執拗に絡んでいた外国の船員と乱闘になる。陽一郎はその女給マユミと親しくなるが、彼女は胸を病んでいた。ドライブ先の箱根で倒れたマユミを入院させ、陽一郎は親身に介抱するが、時間の問題だった。

 

 彼女は陽一郎に頼んで、疎遠にしていた妹絹子を探してもらい、自分が死んだら自分の代わりに絹子と結婚してくれるように言い遺す。甘やかされて育った陽一郎は元々意志薄弱な男で、かねてから決まっていた許婚者の早苗の気持も無視して、自宅に帰らずに酒乱の日々を送る。業を煮やした父親は彼を北海道の釧路の牧場へ追いやることにする。しかし陽一郎は釧路への途中で失踪する。絹子は単身で釧路へ旅立ち、彼を探し出して生活を再建したいと思いつめ・・・

 

薔薇色の道:中村武羅夫、寺本忠雄・画

 金満家の道楽息子のどうにもシマらない行跡と、自分の思惑が裏切られた女性たちの悲しみが描かれ、解決の糸口も見えないままで一段落するのだが、昭和初期の文化的な華やかさと貧困の対比には興味深いものがあった。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1234400/1/3

https://dl.ndl.go.jp/pid/1644094

口絵・挿絵は寺本忠雄。

 

薔薇色の道:中村武羅夫、寺本忠雄・画

《誰だつて――早苗のやうな純真な処女として、自分の生涯を託する許婚者を、慕はずにゐるものがあるだらうか。実際、早苗は、清らかで、やさしい処女の心を傾けて、陽一郎を慕ひもすれば、信頼もしてゐることは、世の常の可憐な娘心に変りがなかつたばかりではなく、或ひは、誰にも、何人にも優つて、その愛は深く、情は濃やかであ つたかも知れない。それを、慕つてゐるのだらう?と聞かれても、その通りだとも、さうでないとも、答へられるものではなかつた。言葉に現はすことの出来ないほどの深さと、複雑さとを以て愛してゐる微妙な処女の心を、どうして表現したらいゝか、分らないので、黙つてゐた。》(妖婦と麗人) 

 

 

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『夜の冒険』 ドゥーゼ

夜の冒険:ドゥーゼ、小酒井不木(訳)

1931年(昭6)平凡社、世界探偵小説全集第8巻所収。

1939年(昭14)博文館、名作探偵

1954年(昭29)日本出版協同㈱、異色探偵小説選集、第7巻。

 

 作者はスウェーデンの作家、サムエル・アウグスト・ドゥーゼ(Samuel August Duse, 1893~1933)というが、英米には全く知られていない。医師であり作家の小酒井不木が友人から入手した独語版から重訳したもので、当時最も人気を博したのは「スミルノ博士の日記」だった。弁護士で名探偵のレオ・カリングの活躍する一連のドゥーゼの作品は、ぽつんと離れた日本でだけもてはやされた不思議な作家だった。

 

 若い彫刻家のジッゲルドは借金に追いつめられていた。唯一の頼りの従兄の発明家レットマンにも冷たくあしらわれ、その悪口のせいで婚約も破棄された。彼が帰宅すると、そのレットマンからの封筒があって、中に高額紙幣が入っていた。その矛盾したやり方に彼は腹を立て、レットマンを殴ろうと夜の街に出た。途中で仮面舞踏会帰りの女性を見かけた。さらにレットマンの家から出てきた若い娘が足をくじいて倒れたのを見て、彼は声をかけた。絶世の美女だった。タクシーを探して戻ってくると、美女の姿は消えていた。仕方なく彼はレットマンの家に入ると、散々待たされた挙句、レットマンが血を流して死んでいたのを見つける。慌てた彼は自分のステッキを血溜まりの中に置いたまま、外に出て、まっすぐ名探偵のレオ・カリングの許を訪れた。彼が第一容疑者になるのは明白だったからである。・・・

 

夜の冒険:ドゥーゼ、小酒井不木(訳)

 場面転換が少なく、広大なレットマンの館、カリングの事務所などでの対話中心の進行で、舞台劇の様相も感じられた。怪奇現象じみた発端から、トリックの二重性、そして何よりも恋情を抱いたジッゲルドが美女と出会った経緯だけを探偵に隠そうとした意図などを次々と見破って行くカリングの手腕には手堅さを感じた。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1227330/1/3

https://dl.ndl.go.jp/pid/1881738/1/1

https://dl.ndl.go.jp/pid/1692126

口絵作者は不詳。

 

《ゲルハルトは思はずよろめいた。彼は生れてからこれ程美しい女を見たことがなかったからである。濃藍色の眼から発する、訴へるやうな視線は、生涯消すことの出来ぬ印象を彼に与へた。彼の芸術家的な、敏捷な観察力は、くっきりとした黒い眉と、帽子の下に波を打って溢れ出て居る金髪とが、いふべからざる美はしい調和を保って居ることを認めた。微妙に刻まれた顔は幾分か蒼白かったが、その唇は燃ゆるが如き深紅色を呈して居た。》(二、冒険の発端)

 

 

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『人の妻』 黒岩涙香(訳述)

人の妻: 黒岩涙香

1906年(明39)扶桑堂刊。

『人の妻』の原作者については、研究者によって19世紀イギリスの女性作家シャーロット・メアリー・ブレイム(Charlotte Mary Brame, 1836–1884)だとされている。彼女は48歳で早世したが、当時は人気作家として多くの作品を書いた。その多くが安価な通俗小説として売られ、米国においては彼女の筆名を借用した覆面作家たちによる廉価版が生産されたという。英米文学史では看過されているが、日本においては尾崎紅葉の「金色夜叉」の種本としても使われたことが判明しており、歴史的な価値は認められると思う。

 

 英国の伝統ある貴族伴野家の当主、丈夫(じょうふ)は、先代、先々代からの放蕩の結果、所領の荘園と屋敷を人手に渡すほど窮乏し、役所勤めをしている。弟も道楽者で、仲間と手形詐欺事件を起こし、その被害者の大津博士に謝罪するために訪問した所、逆に歓待されて親交が始まった。手形詐欺の主謀者は博士の息子波太郎で、彼は汚名を隠すため豪州に向かった。弟の方もインドで心機一転を図ることになった。

 

 丈夫は大津家の令嬢輪子から結婚を迫られていたが、ある日豪州から手紙が届き、波太郎が事故死したことと、現地で結婚して一子が生まれたことをその妻槇子から知らせてきた。博士はすぐに送金し、妻子を英国に呼び寄せることにした。丈夫がたまたま都合が良く、港に到着した妻子の出迎え役を買って出たが、対面した槇子の気品のある美貌に圧倒され、寡婦とはなったものの「人の妻」だった彼女に対する恋情に以後苦しめられる。槇子の方も、義妹輪子からの陰湿なイジメに耐えながら、次第に丈夫に心を開いていくが、彼女にはどうしても打ち明けられない秘密があった。それでも敢えて彼らは結婚に踏み切るが・・・

 

人の妻: 黒岩涙香

 涙香の、文脈を的確に把握して叙述する筆力の見事さが第一なのだが、丁寧な筋運びと対人感情の機微には、女流作家らしい繊細さが感じられた。こういうのも心理小説と言えるのではなかろうか。人間関係には「はっきり言ってしまえば簡単なものを、言えずに苦悶する」という状況も多々発生する。それが小説の面白さになっているのも不思議に思えた。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/887957

口絵作者は不詳。

 

《爾(さう)して殊に丈夫の心に深く感じたのは、其の顔附の上品なのと憂ひを帯びて居る所とである。憂の色は心配さへ無くなれば消るだらうが、其上品な所だけは持て生れた其身の位と云ふ者だから、一生涯消えもせねば、又他人が真似する事も出来ぬ。俗人の仲間に生れた者は、幾等勉めても此の「品」と云者の備はる事は出来ぬ。余ほど人に崇められる様な家柄に生れた者には違ひ無いが、何うして此の様な人が豪州に居たのか知らん》(二、爾して丈夫の顔を見た)

 

 

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