捨小舟:黒岩涙香
1894年(明27)10月~、「萬朝報」に連載。
1895年(明28)扶桑堂刊、上中下全3編。
1917年(大6)扶桑堂刊、縮刷合本。
古来の用語で捨小舟(すておぶね)と読む。帆も舵も櫂もなく大海を漂う小舟のことだが、ヒロインが物乞いをしながら自分の境遇を悲しんで歌う曲の名前としても出てくる。原作者はメアリ・エリザベス・ブラッドン(Mary Elisabeth Braddon, 1837~1915)という英国の女流作家で、19世紀後半にセンセーション・ノヴェル(波乱万丈の小説とでも言うのか)の作品を多数書いて人気があった。この作品は、原題が “Diavola”(イタリア語で悪魔の意味)という長尺なロマンだが、涙香は人物のみ和名に置き換え、英国からフランス、イタリアに展開する地名は現地のままで訳述した。読み応えのある作品だが、現在では原著の方はあまり言及されることもなく、むしろ涙香の訳本が貴重な文献となっている。涙香が付けた『捨小舟』のタイトルの方がヒロインの運命を象徴するようで的確に思えた。
薄幸のヒロインの園枝は、胡散臭い居酒屋の主古松を父親代わりとして暮らしながら、辻音楽師の老人に合わせて歌を歌っている。自分の出自についてはほとんど記憶にないが、その美しい顔には品位が備わっている。ある夜、古松の悪事を知っていやになり、彼女は家を出て、放浪の旅に出るが、厳冬の路頭で行き倒れになる。その歌声に興味を持って救いの手を差し伸べたのは、大地主の常葉男爵だった。彼は園枝を音楽教師に預け、将来オペラ歌手になれるように教育させる。
捨小舟:黒岩涙香、富岡永洗・画
男爵は妻が早死にし、子供もなく、唯一の身内の甥の礼吉は放蕩者なので、遺産相続者から除外することに決めた。困り果てた礼吉は友人の医師皮林に頼んで、相続人に復帰出来るような手立てを企ててもらうことにした。男爵は預けていた園枝が令嬢らしい品位に磨きがかかり、その美貌に加えて謙虚な性格に魅了され、結婚することになる。乞食から男爵夫人への大変身である。
男爵の領地での催事が続く中で、皮林はサロンに入り込み、園枝との親密さを目立たせ、男爵の猜疑心、嫉妬心を煽る。更に男爵が落馬で怪我をしたと騙し、園枝を単独で古城址に閉じ込めて夜を明かした。男爵は妻の不貞を盲信し、翌日帰ってきた園枝に対し、屋敷から追放する。悔し涙の園枝は何も持たずに出て行き、音楽教師のもとで助手として働き始めるが、彼女が悪党古松の娘だったことが露顕し、捕えられて投獄される。その時彼女は男爵の子を妊娠しており、獄中で密かに女の子を出産する。その後釈放された園枝にとって、乳呑児を抱えながら、歌を歌って物乞いをするしか生きる手段がないという、まさにどん底の人生となる。(残りの後半は略)
捨小舟:黒岩涙香、富岡永洗・画
勧善懲悪という言い方は、明治期の古くさい戯作や講談本に限られる思想ではなく、むしろ人類の世界共通の「正義は勝利し、悪は滅びる」という秩序概念もしくは願望なのではなかろうか。この物語の中でも、悪徳のレベルの階層、つまり悪者よりも悪い者はいくらでもいるという点、そして悪巧みのせめぎ合いから、犯行の綻びが現われ、正義が報われるという構成になっていた。また女流作家らしい筆致の細やかさ、特に感情の振幅、逡巡、思い巡らしなどの心理面の描写が見事で、翻訳の涙香の文体の達者ぶりと相俟っていた。☆☆☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/896987
https://dl.ndl.go.jp/pid/896988
https://dl.ndl.go.jp/pid/896989
https://dl.ndl.go.jp/pid/908320/1/3
口絵は富岡永洗。
捨小舟:黒岩涙香、富岡永洗・画
《我知らず耳を澄ますに、声は確かに年若き女の声にて多分は乞食の類なる可く寒さに震ひて絶々に、我窓の下の辺にて謡ふに似たり、歌は此辺にて昔より子供の謡ふ『捨小舟』の曲にして聞く程の者ならぬも、唯だ其声の優しくして最と妙なるは殆ど人間の咽より出るとは思はれず、男爵は知らず知らず深く心を動かして『(---) それにしてもアノ声は、少し音楽の教師に就けば伊国の大音楽場に上せても音楽の女王と崇められる程の声だ真に可哀想と云ふのは此様な女を云ふのだナア』と呟きながら浮々と立ちて窓際に寄行たり。》(十一)
「私が音楽を愛するのは人の喝采や褒め言葉を好むのではありません、音楽ばかりを愛するのです、音楽の音の続く間は世の邪慳を忘れて居ます、夫で私はこの生涯を音楽の裏(うち)に埋(うづめ)るのを此上も無い幸ひだと思(おもつ)て居ます、人が聞かうが聞くまいが、褒やうが褒まいが其様な事は何とも思って居ませんのです」(二十)
《今更ら帰らぬ事とは云へ若し彼の手紙確実(たしか)にして園枝真に無実ならば我れ常葉男爵こそ恕(ゆる)し難き罪を犯せし者なり、身辺に我が常葉家の身代を奪はんと種々の陰謀を企む者有るに夫(そ)を知らず却て罪無き妻に罪を附け、其操を疑ひ其位置を奪ひ女としては堪得べからざる程の苦(くるしみ)を負せたり、後に及びて全くの間違ひと事分らば、我れ唯だ世間に対して済まぬのみかは、又唯だ園枝に対して済まぬのみかは、我れ自から我が身に済まず、我が心何として我が過ちを許すを得んや》(第百十回)
《興行主は今まで斯の言込を受け試験せし事も度々なれど履歴の分らぬ者に役に立つ者の有(あり)し例し無ければ其儘断りたれども其婦人の立去る姿、如何にも優美に見えたる為め、若しやと思ひ呼留めて試験せしに、立派なる音楽師にして而も何十年聞きし事も無き程の主唱音楽(たてうた)の伎倆と見たれば、此折宛も新興行を目論む際と云ひ、他の座主に雇込まれては一大事と思ひ覆面婦人の望より輪を掛けて充分の約束を定め雇入れ、猶ほ其後評判の高くなり揚り高の増すに従ひ益々給金を上せつゝ有り斯る次第なれば》(百廿五回)
捨小舟:黒岩涙香(扶桑堂・広告)
※海外ミステリ総合データベース ミスダス
■ミステリの歴史■ 3.イギリス 1850年代〜1860年
(4)メアリ・エリザベス・ブラッドン
http://mysterydata.web.fc2.com/HST/HST_03_04.html