明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『魔境五千哩』 木村荘十

魔境五千哩:木村荘十、小松崎茂・画

1948年(昭23)保育社刊。『魔境三千哩』

1949年(昭24)光文社刊。『魔境五千哩』

 木村荘十(1897~1967)による少年向けの海洋冒険小説だが、英国作品からの翻訳・翻案の可能性が大きい。英国の港から出て、南米ベネズエラのカラカス付近を目指す船隊の冒険でありながら、人物名がすべて和名に置き換えられている点と、帆船の航海上の出来事を日本人作家としては描けない要素がほとんどであること、また南米の魔境が植民地を持つ西欧人の体験に基づく知識であること、貴族と家臣あるいは平民との階級格差が明確であることなどが考えられた。

 

魔境三千哩:木村荘十、玉井徳太郎・画

 当初『魔境三千哩』として出版されたが、三千哩(さんぜんまいる)は英ポンド法による距離、メートル法で約4800km になるが、当時の欧州~南米航路は約7500km なので、大陸に到達できない計算になる。それを正すために「三千哩」を「五千哩」つまり約8000km に改めたのだと思う。

 

 主家の伯爵令嬢百合枝姫が航海の途上で海賊に攫われたのを、家来の船員の青年春樹が何とか救い出そうとして船内に潜り込む。もともと姫は許婚者として傲慢な子爵がいるのだが、春樹は胸に褒めた恋情を持ち続け、救援に身を粉にする。海上では海賊に乗っ取られ、脱出した島では土人に襲撃され、助けてくれたポルトガル人たちの正体は悪巧みに満ちていた。危機また危機の展開は息を継がせず、熱帯の密林と大河の迫力も十分だった。☆☆☆

 

魔境五千哩:木村荘十、小松崎茂・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/8347184/1/1

(三千哩)カバー絵・挿絵は玉井徳太郎。

https://dl.ndl.go.jp/pid/8346968/1/1

(五千哩)カバー絵・口絵・挿絵は小松崎茂。

 

 

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『限りなき舗道』 北村小松

限りなき舗道:北村小松

1927年(昭2)2月~7月、大阪毎日新聞、東京日日新聞にて連載。

1932年(昭7)中央公論社刊。

 作者の北村小松(1901~1964)は最初松竹蒲田の映画会社に入社し、映画のシナリオを書いていたが、20代で新聞に連載小説を書くほどの筆が立った。この小説は昭和初期の経済的な活況や文化的にモダンな華やかさが見られた時期の女性たちの恋愛模様を描いたものだが、どこか戦後復興期に人々がほっと自由を満喫できるようになった時期の感覚と重なるような不思議な新鮮さを感じた。

 

限りなき舗道:松竹(1934)

 ヒロインの杉子は、旧弊な父親の考え方に反発し、家を出て東京の高級衣料店で働いている。同僚の袈裟子と一緒の下宿に住んでいるが、ある時映画会社から女優としてスカウトしたいと話が入る。彼女が当惑している最中に、田舎で父親が死んだという電報が届き、そのまま葬儀へ駆けつける。一段落して帰ると、彼女の不在中に袈裟子の女優としての採用が決まり、すでに引っ越していた。杉子は幸運を横取りされたとは考えず、銀座で袈裟子と会って釈明を聞いた帰り道に、横丁から出てきた車に撥ねられて入院する。運転していたのは名家の長男弘で、見舞を重ねるうちに二人は親しくなっていく。・・・

 

 一方で弘との結婚を熱望する旧華族家のじゃじゃ馬娘淑子などが絡んで、混乱するが、二人は無事に結婚する。しかしこの小説の本領は、その後の生活の破綻まで描き続けたことにある。「嫁入り」という言葉にあるように、家風や階級の異なる家に入るということは、単なる二つの個体の結合とは別次元のことであり、特にまだ昭和初期の時代に「家」中心の生き方が支配的であり、個々の自由主義とは矛盾を生じていたことは、否定できない。☆☆☆☆

 

限りなき舗道:松竹(1934)

 この作品は作者が所属していた松竹蒲田で映画化され、現在下記の Youtube で見ることができる。小説中では「トーキー映画の制作」に言及する個所も出てくるが、この映画はサイレントで作られていた。この時期がちょうどその境目だったようだ。

 

※『限りなき舗道』(1934年)無声映画、成瀬巳喜男監督

www.youtube.com

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1209614/1/3

 

《思ひがけなく、思ひがけない所へつれて行かれて、思ひがけない人達にひき会はされ、その上にまるで思ひがけない話までもち出され、興奮したり、気をつかったりしたので、杉子の神経は、可なり、つかれてゐた。》(彼女の父)

 

「ぢゃなあに? ぢゃ何が世の中で私達を幸福にして呉れると思ふ?……恋?……結婚?……え?……蒼白いサラリーマンと結婚する事なの?……え?……会社員の世話女房になってしまふ事なの?……」(彼女の父)

 

《近代の産業文明は、若い人達に、かういふ夫婦中心的な「小家族」的観念を植ゑつけ、「小家族」的観念に対する同感と、憧憬とを抱かせた。だが現在の日本には、まだまだ、「大家族」的な観念と、「大家族」的な形における「家」が根強く存在してゐるのではないだらうか?》(家)

 

《いいんだ! いいんだ! これは弘さんのせゐぢゃないんだ! 弘さんやあたしのせゐぢゃないんだ。……この家の人達の背負ひ込んでゐる伝統と階級つてものゝ悪さが、こんな事になるんだ。……情欲だけではどうにもならないものが弘さんとあたしの間に横たはつてゐるんだ! 考へて見よう! よく考へて見よう……》(落ち葉)



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『善悪草園生咲分』 談州楼燕枝

善悪草園生咲分: 談州楼燕枝

1885年(明18)銀栄堂刊。

1887年(明20)銀花堂刊。

(よしあしくさ・そのおのさきわけ)演者兼作者の談州楼燕枝(だんしゅうろう・えんし、1838~1900)は柳亭燕枝として、同時期の三遊亭円朝の好敵手として活躍した落語家だった。この作品の元ネタはその年の4月~6月に「改進」新聞に連載された彩霞圓柳香(雑賀柳香)による「続き物」に拠っている。燕枝は漢文調の本文を口演向きにかみ砕き、特に会話部分を口語に直して聞き(読み)易くしたものを「自講自記」で出版したと思われる。(下記端書参照)ちょうど円朝が速記者による口演を盛んに出版して人気が出た時期と前後していた。

善悪草園生咲分: 談州楼燕枝、歌川芳宗・画

 外題の前に「洋妾お花、鬼清吉、刺墨お市」の名前を連ね、この三人の主要人物の物語が展開するのだが、骨格としては後代の伝奇小説の味わいを予見させるものがあった。お花は八王子の道場主の娘花敷といったが、どうして洋妾(らしゃめん=外人の妾)になったのか。鬼清吉は元の身分は武家の次男坊で来島清二郎といい、家督を兄に譲って浪人し、甲州に行って侠客となり、その後商人になるという転変ぶり。お市は主要人物としては珍しい六十の老婆だが、若い頃からの悪事が身について、年老いても仲間と街盗(ごまのはえ)稼業に精を出すという変り種。清吉とお花は夫婦でもあるが、捕り手に追われて逃げる途中で離散する。お市は清吉に命を救われた恩義でお花を助ける。三人三様の人生模様は完全な口演速記に比べれば少し読みにくさはあったが、時折混じる七五調の口上も小気味良く、因縁話を絡ませてよく描かれていた。☆☆☆

善悪草園生咲分: 談州楼燕枝、歌川芳宗・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/891471

口絵・挿絵は歌川芳宗。

 

《硯兄(けんけい)彩露園中に造る善悪(よしあし)草は、勧善懲悪の咲分(さきわけ)に、婦女童蒙(どうもう)の教草(おしえくさ)先に改進新聞を一読の観客、よく知り玉ふところなり、頃日柳香大人に乞て根分(ねわけ)をなし昼夜勉強口演し、我柳亭の一ト株となりしかば各区の席に鬻(ひさぎ)て諸君の眺に供せしに》(端書)

 

《咲き出でゝ眺望(ながめ)は今日か飛鳥山 年々歳々花相似たれど歳々年々同じからぬ人は宛然(さながら)山に満ち樽を傾け舞ひ歌ふ塵俗あれば瓢(ひさご)の酒に憂きを拂ふて詩を作り歌を詠ずる騒客あり雅俗交々興する光景(さま)は絶て櫻のなかりせばと業平朝臣の詠れたる春の心の長閑(のどけ)さなるべし》(第一回、書き出し)

 

「コリャ老婆聞けば其方の名代の街盗なる由、額に寄する波にも恥ず頭に戴く霜にもめけず能く悪党になったものぢゃな、地獄の廰へ行くに近き其方に説法は無益ゆゑ此まゝ放(ほ)ちやるなれば何方になりと野倒死して積りし罪を亡すべし行け行け」(第三回)

 

善悪草園生咲分: 談州楼燕枝、歌川芳宗・画

《年は二八を一ッ過ぎ顔は弥生の櫻花(さくらばな)の如く姿は仲秋(なかあき)の新月(にいげつ)に似たり恁(かゝ)る土地には住むものから了得(さすが)に父の教育厳かなる為め只深窓にのみありて端居近くさへ出づる事なし然れども花敷の美人と聞傳へ嫁に迎へんと乞ふ者あり》(第六回)

 

《刺墨お市か悪党の看板かけた性根から、果ては手荒い人殺し網の目洩れず御用になり、軽い処置(しおき)の流刑(ながしもの)八丈島へ送られて、芋で命を繋いだも算(かぞ)へて見りやァ十五年、赦免になってまた元の江戸へ帰(けへ)れば悪事は廃(やめ)ず(…)其れも今ぢゃァ寄る年に目印注(つい)て掙丁(かせぎ)も出来ず、詮方(せうこと)なしの甲斐ノ國、佛参(ほとけめへ)りと見せかけて爪繰(つまぐる)珠数も鬼の眼に見留られぢゃァ百年目》(第十七回)

 

 

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『捨小舟』 黒岩涙香(訳述)

捨小舟:黒岩涙香

1894年(明27)10月~、「萬朝報」に連載。

1895年(明28)扶桑堂刊、上中下全3編。

1917年(大6)扶桑堂刊、縮刷合本。

 

 古来の用語で捨小舟(すておぶね)と読む。帆も舵も櫂もなく大海を漂う小舟のことだが、ヒロインが物乞いをしながら自分の境遇を悲しんで歌う曲の名前としても出てくる。原作者はメアリ・エリザベス・ブラッドン(Mary Elisabeth Braddon, 1837~1915)という英国の女流作家で、19世紀後半にセンセーション・ノヴェル(波乱万丈の小説とでも言うのか)の作品を多数書いて人気があった。この作品は、原題が “Diavola”(イタリア語で悪魔の意味)という長尺なロマンだが、涙香は人物のみ和名に置き換え、英国からフランス、イタリアに展開する地名は現地のままで訳述した。読み応えのある作品だが、現在では原著の方はあまり言及されることもなく、むしろ涙香の訳本が貴重な文献となっている。涙香が付けた『捨小舟』のタイトルの方がヒロインの運命を象徴するようで的確に思えた。

 

 薄幸のヒロインの園枝は、胡散臭い居酒屋の主古松を父親代わりとして暮らしながら、辻音楽師の老人に合わせて歌を歌っている。自分の出自についてはほとんど記憶にないが、その美しい顔には品位が備わっている。ある夜、古松の悪事を知っていやになり、彼女は家を出て、放浪の旅に出るが、厳冬の路頭で行き倒れになる。その歌声に興味を持って救いの手を差し伸べたのは、大地主の常葉男爵だった。彼は園枝を音楽教師に預け、将来オペラ歌手になれるように教育させる。

 

捨小舟:黒岩涙香、富岡永洗・画

 男爵は妻が早死にし、子供もなく、唯一の身内の甥の礼吉は放蕩者なので、遺産相続者から除外することに決めた。困り果てた礼吉は友人の医師皮林に頼んで、相続人に復帰出来るような手立てを企ててもらうことにした。男爵は預けていた園枝が令嬢らしい品位に磨きがかかり、その美貌に加えて謙虚な性格に魅了され、結婚することになる。乞食から男爵夫人への大変身である。

 

 男爵の領地での催事が続く中で、皮林はサロンに入り込み、園枝との親密さを目立たせ、男爵の猜疑心、嫉妬心を煽る。更に男爵が落馬で怪我をしたと騙し、園枝を単独で古城址に閉じ込めて夜を明かした。男爵は妻の不貞を盲信し、翌日帰ってきた園枝に対し、屋敷から追放する。悔し涙の園枝は何も持たずに出て行き、音楽教師のもとで助手として働き始めるが、彼女が悪党古松の娘だったことが露顕し、捕えられて投獄される。その時彼女は男爵の子を妊娠しており、獄中で密かに女の子を出産する。その後釈放された園枝にとって、乳呑児を抱えながら、歌を歌って物乞いをするしか生きる手段がないという、まさにどん底の人生となる。(残りの後半は略)

 

捨小舟:黒岩涙香、富岡永洗・画

 勧善懲悪という言い方は、明治期の古くさい戯作や講談本に限られる思想ではなく、むしろ人類の世界共通の「正義は勝利し、悪は滅びる」という秩序概念もしくは願望なのではなかろうか。この物語の中でも、悪徳のレベルの階層、つまり悪者よりも悪い者はいくらでもいるという点、そして悪巧みのせめぎ合いから、犯行の綻びが現われ、正義が報われるという構成になっていた。また女流作家らしい筆致の細やかさ、特に感情の振幅、逡巡、思い巡らしなどの心理面の描写が見事で、翻訳の涙香の文体の達者ぶりと相俟っていた。☆☆☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/896987

https://dl.ndl.go.jp/pid/896988

https://dl.ndl.go.jp/pid/896989

https://dl.ndl.go.jp/pid/908320/1/3

口絵は富岡永洗。

 

捨小舟:黒岩涙香、富岡永洗・画

《我知らず耳を澄ますに、声は確かに年若き女の声にて多分は乞食の類なる可く寒さに震ひて絶々に、我窓の下の辺にて謡ふに似たり、歌は此辺にて昔より子供の謡ふ『捨小舟』の曲にして聞く程の者ならぬも、唯だ其声の優しくして最と妙なるは殆ど人間の咽より出るとは思はれず、男爵は知らず知らず深く心を動かして『(---) それにしてもアノ声は、少し音楽の教師に就けば伊国の大音楽場に上せても音楽の女王と崇められる程の声だ真に可哀想と云ふのは此様な女を云ふのだナア』と呟きながら浮々と立ちて窓際に寄行たり。》(十一)

 

「私が音楽を愛するのは人の喝采や褒め言葉を好むのではありません、音楽ばかりを愛するのです、音楽の音の続く間は世の邪慳を忘れて居ます、夫で私はこの生涯を音楽の裏(うち)に埋(うづめ)るのを此上も無い幸ひだと思(おもつ)て居ます、人が聞かうが聞くまいが、褒やうが褒まいが其様な事は何とも思って居ませんのです」(二十)

 

《今更ら帰らぬ事とは云へ若し彼の手紙確実(たしか)にして園枝真に無実ならば我れ常葉男爵こそ恕(ゆる)し難き罪を犯せし者なり、身辺に我が常葉家の身代を奪はんと種々の陰謀を企む者有るに夫(そ)を知らず却て罪無き妻に罪を附け、其操を疑ひ其位置を奪ひ女としては堪得べからざる程の苦(くるしみ)を負せたり、後に及びて全くの間違ひと事分らば、我れ唯だ世間に対して済まぬのみかは、又唯だ園枝に対して済まぬのみかは、我れ自から我が身に済まず、我が心何として我が過ちを許すを得んや》(第百十回)

 

《興行主は今まで斯の言込を受け試験せし事も度々なれど履歴の分らぬ者に役に立つ者の有(あり)し例し無ければ其儘断りたれども其婦人の立去る姿、如何にも優美に見えたる為め、若しやと思ひ呼留めて試験せしに、立派なる音楽師にして而も何十年聞きし事も無き程の主唱音楽(たてうた)の伎倆と見たれば、此折宛も新興行を目論む際と云ひ、他の座主に雇込まれては一大事と思ひ覆面婦人の望より輪を掛けて充分の約束を定め雇入れ、猶ほ其後評判の高くなり揚り高の増すに従ひ益々給金を上せつゝ有り斯る次第なれば》(百廿五回)

 

捨小舟:黒岩涙香(扶桑堂・広告)

※海外ミステリ総合データベース ミスダス

■ミステリの歴史■ 3.イギリス 1850年代〜1860年

(4)メアリ・エリザベス・ブラッドン

http://mysterydata.web.fc2.com/HST/HST_03_04.html

 

 

 

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『無花果』 中村春雨(中村吉蔵)

無花果:中村春雨

1901年(明34)金尾文淵堂刊。

1928年(昭3)改造社、現代日本文学全集 第34篇所収。

 中村春雨(しゅんう)は、劇作家中村吉蔵(1877~1941)の小説家としての筆号であり、この『無花果』は大学在学中の24歳の時、大阪毎日新聞の懸賞小説に当選した出世作だった。

 

 東京の牛込教会に新たに牧師として着任した鳩宮庸之助は、米国放浪中にキリスト教に入信し、牧師の資格を得ると共に、その世話人の娘恵美耶(えみや)と結婚し、一緒に日本に帰ってきた。しかし彼には暗い過去があった。彼はかつてお澤という女性を愛していたが、周囲の反対で結婚できず、失意のまま米国へ旅立ったのだが、お澤は妊娠しており、親が捜してきた婿養子の横暴さに耐えきれず、その男を殺してしまい、投獄される。彼女は獄中で女の子を産んだが、看守の一人に引取られて消息不明となった。

 

 庸之助は牧師館に年老いた両親を呼んで同居するが、彼らは「毛唐人」への先入観や拒否反応から妻の恵美耶に対してことごとに辛く当たる。教会で面倒を見る浮浪児たちの中にお巻という少女がいて、なぜか両親や庸之助に気に入られ、下女代りに暮らすようになる。やがて恵美耶は懐妊したが、特に老母の嫌悪感は増長し、庸之助は板挟みに苦しむが、恵美耶は健気ながらも愚痴一つこぼさずに暮らし続ける。

 

 監獄に聴聞師として庸之助が訪れた時、女囚のお澤は懐かしさから脱獄を試み、嵐の夜に牧師館に逃げ込む。庸之助はそれを幇助して、近くの下宿屋に匿う。そこでお巻が彼らの子供であることを知る。間もなく彼らは警察に捕まり収監されるが、そこでも恵美耶は身重ながらも、英語教師として働き、老親を支えながら、庸之助への面会と差入れを怠らなかった。そして次第に老人たちの態度も変化し、心の溝が埋められて行き、彼女は無事男の子を出産する。・・・(後略)

 

 若気の至りとは言え、犯した罪の償いをどうして行くべきかが主人公庸之助の苦悩として描かれるのだが、遠く離れた異国で頼る者さえなく自力で生き抜く女性エミヤの精神力にも目を見張るものがあった。☆☆☆☆

無花果:中村春雨、一條成美・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/885411

https://dl.ndl.go.jp/pid/1883367/1/183

口絵は一條成美。

(金尾文淵堂版はNDLでは落丁が多いため、改造社版の方が読みやすい。)

 

《或人その葡萄園に植おきたる無花果樹ありしが來りて之に果(み)を求れども得ざりければ、其園丁に日けるは我三年きたりて此無花果樹に果を求れども得ず之を斫(きり)され何ぞ徒に地を塞ぐや、園丁こたへけるは主よ我その周囲を掘て之に糞(こやし)するまで今年も容せ、もし果を結ばヾ善(よし)もし結ずば後に之を斫るべし》(序・路加傳第十三章)

 

《つくづく見ると其小娘は、顎のかゝり、頬の工合何となう恰好よく、天のなせる麗質を暫く浮世の風塵に埋めて了つて、こゝにその多年の恨を語るやうな眼元、それは少し険しい、狐疑(こぎ)深いやうな色を帯びてゐた。》(十九)

 

「折角、一旦悔改めて、神様の御名の下に立働く身となりながら、其昔犯した罪の為めに、吾自らを欺き、妻を欺き、親を欺き、社会をも欺いて果が、国家の法律にまで触れるといふ、実に浅猿しい次第に立至ったのです。私は神様の厳罰を蒙るべき體です」(五十五)



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『花盗人』 石橋思案

花盗人:石橋思案

1895年(明28)駸々堂刊。

 石橋思案(1867~1927)は尾崎紅葉らと共に硯友社の主要メンバーの一人として活躍した。作風は江戸期の戯作文学の雰囲気を継承しつつも、時代の先を見据えた言文一致体で書いたり、相思相愛の男女の心理の動きに言及したり、などの特徴が見られた。各章とも「花を手折る」感じの表題がついているが、中身はあっさりした風雅の伝統がうかがえた。

 大店角仁屋の長女のお蝶は妾腹ながらも総領娘として、親は学生の芳雄を許婚者として定めている。お蝶の妹は2歳下のお花だが、母親が異なるとは言え、「蝶よ花よ」と仲良く暮らしている。お蝶は芳雄とはどうしても気性が合わず、むしろ顔見知りの大店の若旦那瀬川に恋焦がれるようになる。しかし瀬川には養女として妹分のお雪が許婚者になっていた。芳雄とお花が相思相愛になっているのを知ったお蝶は分家の希望を出して本家を去り、他所から婿を迎えることにする。

花盗人:石橋思案、稲野年恒・画

 一組の相思相愛を成就させ、瀬川も当初から決まっていた結婚をして、お蝶は言わば自己犠牲となるのだが、淡い青春の恋の思い出を胸に秘めて生きて行く。オールハッピーではない物語であるからこそ、文芸的な味わいを残してくれた。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/887821

口絵は稲野年恒。

 

《相思が高まッて今は既に愛憐の最高度に達して居ます、人生の蒸気機関が今充分の速力を以て廻りつゝあります、今は殆んど恋情の摩擦が激しくモ早や愛憐の焔に身を焦がして居ます》(第六)

 

 

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『十人斬恨の刃』 卍字楼柳水

十人斬恨の刃:卍字楼柳水

1893年(明26)6月、「大阪毎日新聞」に連載。

1983年(明26)駸々堂刊。

 

卍字楼柳水(まんじろう・りゅうすい)に関しては、明治中期に活躍した記者作家の一人としか情報がない。明治25年に大阪の河内で実際に起きた大量殺人事件に取材した実録物である。主犯となった猪之助は、自分の妻に金を騙し取られ、従兄弟と密通したうえに逃げ出される。その上に義理ある若旦那のためにその恋仲となっていた娘を自宅に匿ったことも踏みにじられて激怒し、従兄弟一味の宴会に殴り込みをかけ、十人を殺害し、自らも自殺する。妻の不義がそもそもの動機だが、金の力で言うことを聞く輩が多いのも何ともはや・・・☆

十人斬恨の刃:卍字楼柳水、筒井年峰・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/886684

口絵は筒井年峰。

 

 

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