明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『慶安水滸伝』 村上元三

慶安水滸伝(上巻):村上元三

1953年(昭28)1月~10月、時事新報、大阪新聞で連載。

1954年(昭29)大日本雄弁会講談社刊、上下2巻。

 

江戸初期の由井正雪の乱を記した史書「慶安太平記」は後世に講談や歌舞伎、絵草紙などに形を変えて取り上げられていたが、村上元三は「慶安水滸伝」とタイトルを変えて、史実の人物に交えて架空の人物を作り出し、多種多様な人間模様を描いた。特に主人公の元小倉藩士、櫟大介は人を殺めたために脱藩し、放浪の身となった二刀流の使い手であるが、取り立てて何をしたいかという目標も意欲もなく、周囲に流されて行動するのが気になった。由井正雪と丸橋忠弥その股肱の武士たち、幕府の大老酒井忠勝町奉行の神尾元勝など、歴史上実在した人物の存在感が大きく、かえって架空の人物たちの浅薄さが目立ってしまう。しまいには事件の傍観者あるいは立会人という脇役に回ってしまったことは仕方がないのかも。☆☆☆



国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1643572

https://dl.ndl.go.jp/pid/1643573

新聞連載時の挿絵は中一弥。

 

慶安水滸伝村上元三

「それがしは、まことに脆いところのある男でな、人からは軍師といわれ、油断のならぬ男のように思われながら、これでなかなか隙が多い。物々しく構えて、その脆さや隙を、ひとに見せぬことは心得ている。大ぜいの人々を心服させ、兵法の伝授をして、大名同様の暮しをしながら、わしは、このままじっとしていられぬ気持がある。それを駆り立てるもの、それが、わしの野心だ。」(その前夜)

 

慶安水滸伝:松竹映画 1954年



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『その名は女』 大林清

その名は女:大林清

1955年(昭30)1月~7月、中部日本新聞、西日本新聞に連載。

1955年(昭30)大日本雄弁会講談社刊。(ロマンブックス)

 

 タイトルの由来は、シェークスピアの「ハムレット」中のセリフ「弱き者よ、汝の名は女なり」だと思われる。事業の失敗から夫が自殺したヒロインの千春は、未亡人になった途端に男たちから言い寄られる。まだ若く美貌であるためだが、生活は破綻しており、実家に戻る以外には考えられなかった。美人女性は往々にして、外から声をかけられ、誘われるのに乗るか反るかを考え勝ちで、自らの意思で目標を探すことがないのかも知れない。

 好意を持たれても、自分では好きになれない男に対して、決定的な態度を示そうとせず、むしろ誤解を助長させるような言動で、話をもつれさせてしまう点では失望を感じながら読むことになった。なぜ中止せずに読み続けたのか? それは彼女が美人だからであり、こうしたダメ美人の結末がどうなるかを見定めたいという気持からだった。女に限らず、男を含め人間は皆弱い者だということなのか。☆☆

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1790624

表紙絵は佐野繁次郎

 

《ここまで来てしまっては、もうその気力も失せどうにでもなるようになれという気持だった。考えてみれば、悲劇のもとは千春自身にあった。意志が弱く環境にひきずられる自分の無性格、今までは善意だと思っていたそれが、次々と悲劇を作り出し、遂にはこんな地獄の底にまでわれひとともに投げこんでしまったのだ。》(地獄の道)





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『君は花の如く』 藤沢桓夫

君は花の如く:藤沢桓夫

1955年(昭30)7月~1956年(昭31)東京タイムス紙連載。

1956年(昭31)大日本雄弁会講談社刊。

1962年(昭37)東方社刊。

 

大阪の化粧品会社で働くヒロインの朝代には暗い過去があった。東京で男に翻弄される生活を断ち切るために単身逃れて来たのだった。ふとした事件で知り合いになった篤夫という青年に心を惹かれながらも、その彼に思いを寄せる和歌子の存在を知り、素直に恋情を育くむのをためらってしまう。さらにまた過去の男からもストーカーのように彼女の住まいに押しかけられて、パニックに陥るなど、ガラス細工のように壊れやすい二人の愛情をいかにして成就させるかを、作者は筆を巧みにふるっていく。大阪の市街を舞台にしているのも新鮮だった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1355690

新聞連載時の挿絵は下高原健二。

 

君は花の如く:藤沢桓夫2

《自分では生れ変ったつもりでいても、人間は果して中途から別の人間になることが出来るのだろうか。人間の過去は果して消え去り得るものなのであろうか。人間は死ぬまで自分の呪われた過去を背負って歩いて行かなければならないのではないだろうか。》(消えぬ過去)



《本当の強い愛は、第三者への同情とか義理立てとか、そう言ったものに左右される余地のない、もっともっと切羽つまったものであるべきかも知れない。同情も義理も何もかも踏みにじって、直進するのが正しいのかも知れない。それはわかっている。わかっていて、篤夫への愛情の火に全身を燃やしながら、敢えて忘我の境地にまで彼を求めて行けない自分が、朝代には、かなしくもあり、呪わしくもあった。》(愛する苦しみ)

 

 

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『窓』 山本禾太郎

窓:山本禾太郎

1929年(昭4)改造社、日本探偵小説全集第17篇所収。(4篇)

1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集、第35巻所収。(2篇)

 

山本禾太郎(のぎたろう、1889~1951)は「新青年」に『窓』が入選したのを機に作家活動に入った。戦前期における「新青年」「探偵趣味」「ぷろふいる」などに書いたが、寡作家だった。その前までの裁判所書記などの経歴から、捜査資料や検察調書の体裁で事件を叙述するという客観化した視点での書法に特徴がある。語り口も落ち着きがありよく整った構成になっている。他に『童貞』『小坂町事件』『長襦袢』『閉ざされた妖怪館』☆☆☆

 

閉された妖怪館:山本禾太郎

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1194289/1/132

https://dl.ndl.go.jp/pid/1171640/1/407

平凡社版の挿絵は常磐井正躬。

 

Wikipedia 山本禾太郎

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%A6%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E

 

 

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『呪いの塔』 横溝正史

呪ひの塔:横溝正史

1932年(昭7)新潮社、新作探偵小説全集第10巻所収。

 

 軽井沢に設定された空間迷路の観光施設「バベルの塔」が舞台。雑誌社の社員由比耕作は人気ミステリー作家の大江黒潮から別荘に招かれる。そこに出入りする人々にはそれぞれ入り組んだ愛憎模様がある。余興に探偵劇を企画するが、被害者役の作家黒潮が塔の天辺で本当に殺されてしまう。軽井沢の濃霧が捜査を阻むうちに第2の犯行が・・・

 書き下ろしの長篇だったらしく、最初の予告では「呪いの家」というタイトルになっていた。探偵役の白井三郎は中盤まで存在感が稀薄だが、終盤には奇妙な生活ぶりや目覚ましい行動力の発揮などが描かれ、興味が深まる。全体的にもゆったりとした細やかな描写と揺れ動く各人の心理描出などで重厚感が出ていた。☆☆☆

 

呪いの塔:横溝正史2

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1259847

函絵は山六郎、挿絵は竹中英太郎



呪ひの塔:横溝正史3

《この男は実際不思議な才能を持ってゐるのだった。いかなる重要な質問を発する場合でも、時々冗談を交へることを決して忘れなかった。さうして、軽い冗談で相手の気持ちをはぐらかしておいては、突然鋭い質問の矢を放つのである。老巧な刑事や検事にかういふのがよくあるが、彼もまた長年の社会部記者生活のうちに、いつかその骨(こつ)を心得たものとみえるのだ。》(南條記者)

 

呪ひの塔:横溝正史4

《自分の知ってゐる人物――少なくとも表面打ちとけた交際をした事のある人物が、恐ろしい人殺しで、しかもまんまと自分はそいつに欺かれてゐたのだといふ感じは、誰にとっても決して嬉しいことではなかったが、耕作にとっては、それが大きな精神的な打撃となるのだった。》(フィルムの語るもの)

 

 

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『時代の霧』 竹田敏彦

時代の霧:竹田敏彦

1937年(昭12)3月~11月、読売新聞連載。

1939年(昭14)大都書房刊。

 

 モダニズム文化の活況を呈していた昭和初期から日中戦争の暗い影が世相に及ぼし始める時代に、若い二組の男女の恋愛曲線が互いに交叉し、変容していく様を描いている。銀座でのミステリアスな結社や、復讐心から富豪の財産を乗っ取ろうとする姉弟の企み、保険外交員の裏舞台など、当時の風景に興味深さを感じた。物語の筋のもつれに加えて、それぞれの立場の人物の受けとめ方の微妙な差異なども細かく描かれ、ロマン小説としてはなかなか面白く読めた。☆☆☆

 

時代の霧:竹田敏彦2

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1026243

表紙絵および口絵は作者不詳。



《狂った運命の角度を辿(たど)って、互に反対に交叉し合ふ二條の愛の対角線――その相交る一点を皮肉にも縛る二人の友情だった。

 

時代の霧:日活映画 1938

 

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『伊達騒動』 沙羅双樹

伊達騒動沙羅双樹

1954年(昭29)6月~1955年(昭30)1月、東京日々新聞連載。

1955年(昭30)同光社出版刊。

 

 自分の育った郷里の歴史上の事件として有名であり、見過ごせないと思っていた。事件を取り扱った類書は数多あって、山本周五郎の「樅ノ木は…」や村上浪六の「原田甲斐」などにも手をつけたが、読み通すことはできなかった。複雑な利害関係もからんで、悪玉と呼べる人物はいないとされる物語を、今回ようやく読むことができた。史実に忠実ではないものの、その要素を作者なりに再構成し、さらに小説的な側面も付加したもので、人物相関図もかなりわかりやすくまとまっていた。ただしその創作部分と史実部分とがどうしても接合しない点はやむを得ないと思った。

大名家という組織の中での権力抗争もしくは派閥争いと言ってしまえばそれまでだが、不思議と現代社会における企業や組織の中での同様な問題に左右される人間たちと似通った姿に見えてくる。地位や権力の虚しさをここでも感じることがあった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1644274



*参考Wikipedia : 伊達騒動

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E9%A8%92%E5%8B%95



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