明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『夜の冒険』 ドゥーゼ

夜の冒険:ドゥーゼ、小酒井不木(訳)

1931年(昭6)平凡社、世界探偵小説全集第8巻所収。

1939年(昭14)博文館、名作探偵

1954年(昭29)日本出版協同㈱、異色探偵小説選集、第7巻。

 

 作者はスウェーデンの作家、サムエル・アウグスト・ドゥーゼ(Samuel August Duse, 1893~1933)というが、英米には全く知られていない。医師であり作家の小酒井不木が友人から入手した独語版から重訳したもので、当時最も人気を博したのは「スミルノ博士の日記」だった。弁護士で名探偵のレオ・カリングの活躍する一連のドゥーゼの作品は、ぽつんと離れた日本でだけもてはやされた不思議な作家だった。

 

 若い彫刻家のジッゲルドは借金に追いつめられていた。唯一の頼りの従兄の発明家レットマンにも冷たくあしらわれ、その悪口のせいで婚約も破棄された。彼が帰宅すると、そのレットマンからの封筒があって、中に高額紙幣が入っていた。その矛盾したやり方に彼は腹を立て、レットマンを殴ろうと夜の街に出た。途中で仮面舞踏会帰りの女性を見かけた。さらにレットマンの家から出てきた若い娘が足をくじいて倒れたのを見て、彼は声をかけた。絶世の美女だった。タクシーを探して戻ってくると、美女の姿は消えていた。仕方なく彼はレットマンの家に入ると、散々待たされた挙句、レットマンが血を流して死んでいたのを見つける。慌てた彼は自分のステッキを血溜まりの中に置いたまま、外に出て、まっすぐ名探偵のレオ・カリングの許を訪れた。彼が第一容疑者になるのは明白だったからである。・・・

 

夜の冒険:ドゥーゼ、小酒井不木(訳)

 場面転換が少なく、広大なレットマンの館、カリングの事務所などでの対話中心の進行で、舞台劇の様相も感じられた。怪奇現象じみた発端から、トリックの二重性、そして何よりも恋情を抱いたジッゲルドが美女と出会った経緯だけを探偵に隠そうとした意図などを次々と見破って行くカリングの手腕には手堅さを感じた。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1227330/1/3

https://dl.ndl.go.jp/pid/1881738/1/1

https://dl.ndl.go.jp/pid/1692126

口絵作者は不詳。

 

《ゲルハルトは思はずよろめいた。彼は生れてからこれ程美しい女を見たことがなかったからである。濃藍色の眼から発する、訴へるやうな視線は、生涯消すことの出来ぬ印象を彼に与へた。彼の芸術家的な、敏捷な観察力は、くっきりとした黒い眉と、帽子の下に波を打って溢れ出て居る金髪とが、いふべからざる美はしい調和を保って居ることを認めた。微妙に刻まれた顔は幾分か蒼白かったが、その唇は燃ゆるが如き深紅色を呈して居た。》(二、冒険の発端)

 

 

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『人の妻』 黒岩涙香(訳述)

人の妻: 黒岩涙香

1906年(明39)扶桑堂刊。

『人の妻』の原作者については、研究者によって19世紀イギリスの女性作家シャーロット・メアリー・ブレイム(Charlotte Mary Brame, 1836–1884)だとされている。彼女は48歳で早世したが、当時は人気作家として多くの作品を書いた。その多くが安価な通俗小説として売られ、米国においては彼女の筆名を借用した覆面作家たちによる廉価版が生産されたという。英米文学史では看過されているが、日本においては尾崎紅葉の「金色夜叉」の種本としても使われたことが判明しており、歴史的な価値は認められると思う。

 

 英国の伝統ある貴族伴野家の当主、丈夫(じょうふ)は、先代、先々代からの放蕩の結果、所領の荘園と屋敷を人手に渡すほど窮乏し、役所勤めをしている。弟も道楽者で、仲間と手形詐欺事件を起こし、その被害者の大津博士に謝罪するために訪問した所、逆に歓待されて親交が始まった。手形詐欺の主謀者は博士の息子波太郎で、彼は汚名を隠すため豪州に向かった。弟の方もインドで心機一転を図ることになった。

 

 丈夫は大津家の令嬢輪子から結婚を迫られていたが、ある日豪州から手紙が届き、波太郎が事故死したことと、現地で結婚して一子が生まれたことをその妻槇子から知らせてきた。博士はすぐに送金し、妻子を英国に呼び寄せることにした。丈夫がたまたま都合が良く、港に到着した妻子の出迎え役を買って出たが、対面した槇子の気品のある美貌に圧倒され、寡婦とはなったものの「人の妻」だった彼女に対する恋情に以後苦しめられる。槇子の方も、義妹輪子からの陰湿なイジメに耐えながら、次第に丈夫に心を開いていくが、彼女にはどうしても打ち明けられない秘密があった。それでも敢えて彼らは結婚に踏み切るが・・・

 

人の妻: 黒岩涙香

 涙香の、文脈を的確に把握して叙述する筆力の見事さが第一なのだが、丁寧な筋運びと対人感情の機微には、女流作家らしい繊細さが感じられた。こういうのも心理小説と言えるのではなかろうか。人間関係には「はっきり言ってしまえば簡単なものを、言えずに苦悶する」という状況も多々発生する。それが小説の面白さになっているのも不思議に思えた。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/887957

口絵作者は不詳。

 

《爾(さう)して殊に丈夫の心に深く感じたのは、其の顔附の上品なのと憂ひを帯びて居る所とである。憂の色は心配さへ無くなれば消るだらうが、其上品な所だけは持て生れた其身の位と云ふ者だから、一生涯消えもせねば、又他人が真似する事も出来ぬ。俗人の仲間に生れた者は、幾等勉めても此の「品」と云者の備はる事は出来ぬ。余ほど人に崇められる様な家柄に生れた者には違ひ無いが、何うして此の様な人が豪州に居たのか知らん》(二、爾して丈夫の顔を見た)

 

 

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『肥後駒下駄』 松月堂呑玉

肥後駒下駄:松月堂呑玉

1893年(明26)駸々堂刊。

松月堂呑玉(しょうげつどう・どんぎょく)については、明治期の上方の講釈師の一人であり、口演速記本にその名を留めている他、あまり情報は多くない。演目『肥後駒下駄』(ひごのこまげた)は別名「桃山の仇討」とも称される江戸時代の敵討の実録物で、古くから歌舞伎や講談で演じられていた。明治期の講談速記本でも流派の異なる講談師のものが何点も出版されている。

 

 播州脇坂藩の藩士である父親が主君の不興を買って閉門を命じられたのを機に、息子の善九郎は浪人となって、武者修行の旅に出る。どこの藩でも仕官の道は厳しく、肥後熊本藩の指南役八坂源次兵衛の屋敷へ駒平という名で仲間奉公をすることになる。しかし武術のたしなみがあるのを見破られ、怪しまれて屋敷を追い出された後、隣家の松山秀之進に雇われ、息子の秀太郎に密かに剣術を教えることになる。その間にも隣家同士のいざこざの中で、善九郎は駒下駄で眉間を殴られるという屈辱を受ける。

 

 松山は藩の目付役で、八坂とその友人たちの不行跡を暴き、所払いに処したのを、彼らは恨みに思い、出国間際に松山を闇討ちにして逃げた。息子の秀太郎は叔父二人と共に主君から仇討の許しを得て、探索の旅に出る。善九郎も駒下駄の屈辱を晴らすために、秀太郎を助けようと後を追う。・・・

 

 口演の中で語られる善九郎の行動を見ると、性格は唐竹を割ったような一本気の男で、せっかちで、融通の効かなさが見えて面白い。彼の世話を申し出る気っぷのいい商人(あきんど)たちが各地で代わる代わる出てくるのも日本人的な心情なのかもしれないと思われた。☆☆

 

肥後駒下駄:松月堂呑玉、中川蘆月・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/890789

口絵は中川蘆月と思われる。

 

「世に捨てられた浪人の秀太郎を夫程までに思召下さるか、不義の様には似たれども親御の御承知とあれば如何にも妻に貰ひませう」、「アゝお嬉しうございます秀太郎さん必ず変って下さいますナ……」と互ひに手に……此處が少し難事(むつかし)い所で委しく申上げますれば猥褻に渉ります、ト云ッて申上げませんと情が移りません。そこで諸君の御推察を願って、抜かぬ太刀の功名と云ふ語(こと)がございますから寧ろ演らん方が宜しいから畢竟(つまり)こゝで妹背の語らひが出来たと思召しあれ、」(第九席)

 

 

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『芭蕉旅日記』 桃川実

芭蕉旅日記:桃川実

1906年(明39)三芳屋刊。

桃川実(1846~1905)は江戸から明治にかけての講釈師。桃川派の重鎮とされた。偶然見つけたこの本は、俳聖芭蕉の略伝でもあり、「奥の細道」の徘徊紀行を中心に、その前後の旅についても語っている。芭蕉による紀行文である「奥の細道」を正面から読むには堅苦しさがあって、これまでなかなか読み進めなかったが、この講談速記本の形式で平明に説き語りされると、「道中記」のような親しみやすさで読み通せたのが良かった。この桃川実自身も徘徊に親しみ、俳号も持っていたことも明快さの裏付けと思えた。何よりも「一句のもたらすずっしりとした重量感」が醍醐味だった。芭蕉末期の緊迫感には固唾を飲んだ。併収の「其角傳」の小話も味わいがあった。☆☆☆

 

芭蕉旅日記:桃川実

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/890755

口絵は作者不詳。

 

《発句を詠んで雨を降らして下さる、どうかマア願ひたいものでナニ降らなかった所が元ッこだ、発句を詠んで雨が降れば此んな有難え事はねへ、何にしろヤア雨乞をしてやらうと云ふ御親切が有難え、其思召しにマア御礼の一言も申さにゃなりませんから、ヤー皆な此方へ来う》(宝井其角)

 

 

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『妻の部屋』 池田みち子

妻の部屋:池田みち子

1954年(昭29)6月~1955年(昭30)6月、雑誌「夫婦生活」連載。

1955年(昭30)東方社刊。

 池田みち子(1914~2008)は戦後に入ってから、女性の恋愛心情を赤裸々に描いた小説を書き続けた。初出の雑誌「夫婦生活」は戦後の泡沫雑誌の一つで、体裁上は婦人雑誌に見えるが、内容は戦後統制が解除された性知識、性科学に関する情報満載の雑誌だった。

妻の部屋:池田みち子、成瀬一富・画

 小さな出版社を経営する斎藤信次は、妻子のために念願の新居を手に入れながらも、元の会社の部下だった花代と密会を続けている。一方で妻のみや子は夫との擦れ違いの毎日に不満を抱いている。

 

妻の部屋:池田みち子、成瀬一富・画

 新居への引越しの手伝いに来ていた、信次の従弟で大学生の安夫が頻繁に顔を出すうちに、不倫の関係を結んでしまう。彼女は身体に刻まれた感覚に嫌悪しながらも、心の底の断ち切れない思いに悩む。しかし安夫の本心が金をせびることにあるのに気づいた彼女は、生活費を盗まれたのを契機に、彼との関係を断つ決心をする。

 

 夫の信次の方も花代の金蔓となっているのに腹を立て、他の娘に気を移す。困惑した花代はある日、信次の自宅を訪ね、みや子に話をぶちまける。家庭崩壊の危機を感じたみや子は・・・

妻の部屋:池田みち子、成瀬一富・画

 戦後復興期の男女の生活行動には、まだあまり余裕が感じられないつましさが見え隠れする。その生活ぶりを垣間見るのも新鮮に思えた。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1766657/1/83

https://dl.ndl.go.jp/pid/1358406/1/3

雑誌連載時の挿絵は成瀬一富。

妻の部屋:池田みち子、成瀬一富・画

《女は自分の恋物語をするとき決して「男にふられた」とは云わないものである。いつでも。自分の方が男を振っているような顔をしていたいらしい。》(色事のうわさ)

 

《ほんとうに憎みあうと、男と女の間では、同性の間でよりも、憎しみが底深いものになる。元来は惹きあう筈の異性が、憎みあうのだから、余程の理由がなければ、憎む筈がないからだろうが、殊にそれが、嘗て交渉のあった男女の間では、相手を知り尽しているだけに、嫌いだとなると、手のつけようがなくなる。》(涯てしなき憎み)

 

 

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『須磨子』 菊池幽芳

須磨子、一名 呪はれたる恋:菊池幽芳

1916年(大5)~1918年(大7)雑誌「婦人画報」に連載。

1919年(大8)東京社刊。

1924年(大13)国民図書、幽芳全集第10巻所収。

「須磨子」という名前は、大正期に一世を風靡した女優の松井須磨子のことかと思われたが、まったく何の関係もなかった。ヒロインの名前が「須磨子」という女性で、両親に早く死に別れて伯母勝代の世話になりながら、音楽の才能を磨くためにパリに留学し、帰国して女流ヴァイオリニストとしてその美貌と共に名声を確立した。彼女は恋愛事には関心を持たず、一生独身で芸術の道を究めるだろうと思われていたが、裕福な銀行家の息子濱田脩に見染められ結婚を決断する。

須磨子、一名 呪はれたる恋:菊池幽芳

この小説には副題として「一名、呪はれた恋」と付いている。それは須磨子の女学生時代に起きたある事件に起因する。その頃、伯母の家に出入りしていた同郷人の兄弟がいた。その弟の亮介と親しくなった末に、ある日下宿に招かれた時に薬物を飲まされ、身体の自由が利かなくなったところを強姦されたのだった。その卑劣な行為に須磨子は憎悪を募らせ、以後交際を断ち切ったのだったが、亮介は執拗に関係を迫るのだった。須磨子が留学を決心したのは、その悪縁を断ち切りたいからでもあった。彼女はその恥辱を伯母の勝代にだけは打ち明け、庇護を頼った。しばらくすると彼からの連絡は途絶えた。帰国後も警戒していたが、何も起きないままに数年が経ち、彼女は脩の妻として二人の子供も産み、幸福な日々を送った。

 

須磨子、一名 呪はれたる恋:菊池幽芳

事態が急変したのは、義妹の薫が別府で保養中に、海外で成功した事業家の紳士と親しくなったことで、須磨子がそこに合流してみると、その人物は変名を使った亮介だった。彼は薫の心を巧みに操り、恋心を掻き立たせながら、その実は互いに知らない同士を装いながら、蛇蝎のような執拗さで須磨子との復縁を迫るのだった。彼女は気が狂いそうになりながら、夫婦の絆を維持し、かつ薫の身を魔の手から守り抜くという必死の決意で立ち向かおうとする。・・・

 

須磨子、一名 呪はれたる恋:菊池幽芳

自分の若き日の汚点を明かしたくないという一心からの、ストーカー的執念を持ち続ける男との心理戦は、精神衛生上読んでいて必ずしも快適なものではなかった。しかしその苦悩の心理の変容していく経過描写は見事だった。☆☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/959525/1/2

https://dl.ndl.go.jp/pid/977284/1/4

東京社版の挿絵は、石井滴水、鏑木清方。

※デジタル保存されている東京社版は、挿絵が入っていて、活字もルビ付きで読みやすいが、破損個所または落丁が複数あるので、幽芳全集版で補完する必要がある。

須磨子、一名 呪はれたる恋:菊池幽芳

「世界中に、どこへ行ってもこんなに人間が沢山ゐるんだ! しかし、こんなに幾億萬となくゐる人間の中に、僕の妻になるための運命をになって生れて来た人は、天にも地にもたった一人しきゃゐない……しかも、その人は、世界のどこかに、もう生をうけて美しく育って来てゐるにちがひない。…そして、僕は、その見知らなかった人と、いつかめぐり合ふ時が來るにちがふないって!」(情炎)

 

《悪魔に対して自身を保護するばかりでなく、誘惑に陥って身を危うくして居る義妹をまづ救はなければならない。自分が犠牲になったゝめ、一生を泣いて暮さなければならぬ上に、大事の義妹まで無惨の犠牲にする事がどうして出来よう。自分を救ひ、義妹を救ひ、同時に良人の名誉を救はなければならない。自分は三重の重い責任を、繊弱い肩に負うて、人知れず悪魔と奮闘しなければならないのだと思ふと、須磨子はわれながら戦慄を禁じ得なかった。》(覚悟)

 

 

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『仮面の女』 中村武羅夫

仮面の女:中村武羅夫

1931年(昭6)新潮社、長篇三人全集第16巻所収。

1947年(昭22)鷺の宮書房刊。

 中村武羅夫(むらお、1886~1949)は新潮社の社員として雑誌「新潮」の編集者としても知られたが、昭和初期の新興芸術派の一人として、昭和モダンを生きる男女の姿を描いた作品を多く書いた。新潮社からは、加藤武雄、三上於菟吉と共に「長篇三人全集」として書き下ろしの長篇小説が刊行された。また文芸評論家としても舌鋒を揮ったが、小説家としては、人物の苦悩や葛藤の書き方が表面的で意外と軽く感じられた。

 

 由美子と和子の姉妹は、早く両親と死に別れて叔父の家に世話になっていたが、女学校を終えた姉の由美子は独立して会社勤めをしていた。その後叔父も亡くなって、居づらくなった和子も由美子に合流したが、和子は肺カタルを患い、鵠沼に転地療養させる必要になった。海岸を散歩中に彼女は青年画家川辺と知り合い、互いに惹かれて行く。

 しかし姉の由美子は経済的に追いつめられていた。薄給の身では妹の転地費用まで支えるのは不可能であった。その都度社長の横田に借金を申し出るのだが、あまりにも頻度が高いので、社長も不審に思い、その理由を糺した。由美子は正直に窮状を打ち明けると、社長からある条件付きでその資金を援助しようという提案があった。それは毎週土曜の夜、何時間か社長と行動を共にするということ、しかも肉体的な関係は全く無しにということだった。由美子は承諾した。そして、ある夜の華族邸で開かれた仮面舞踏会に、仮面をつけた人魚姿の美女が現われ、人々の注目を集めた。そこに出席していた画家の川辺もその姿に魅せられ、帰途についた彼女の車を追跡する。・・・・

 

 話の途中からエログロ趣味の方向に進みそうになり、由美子の身辺が危ぶまれたが、彼女の心理の深層までは描かれず、結末も今一つだった。この作品は終戦直後にも再刊されたが、昭和初期の人々の自由度がその10数年後の戦後の雰囲気と同等に感じられたのが不思議だった。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1179307/1/215

https://dl.ndl.go.jp/pid/1643134

表紙絵作者は不詳。

 

《背が、すらりと高く、鼻筋が通って、眉の濃い、口元の固く引き緊った、血色こそ、いくらか蒼白いけれども、気品のある顔立ちをした青年の面影が、和子の網膜に焼き附いて、どうしても消えないのであった。イヤ、単にそれは瞳に焼き附いて消えないばかりではなく、深く心に刻まれて、どうしても取り去ることが出来ないのであった。》(懐しき面影)

 

 

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