明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『緋鹿子捕物草紙』 村上元三

緋鹿子捕物草紙:村上元三

1951年(昭26)新小説社刊、新小説文庫(第109、110)全2巻。

1951年(昭26)桃源社刊、捕物小説傑作集に「まぼろし燈籠」を所収。

1953年(昭28)文芸図書出版刊。『夜叉頭巾ーお吟捕物秘帖』と改題。

 

これも女捕物帳の一つで、日本橋銀町(しろがねちょう)の岡っ引清五郎の一人娘お吟が活躍する18話。みずすまし亭さんのブログ(下記)で紹介されていたのに便乗して読み通した。お吟は花も恥じらう十七八の娘盛りでありながら、気性はきっぱりとしたところがあり、正義感も強い。母を亡くし、父一人子一人の家計の助けに町の少女たちに踊りを教えている。直接岡っ引の仕事に加わることはしないが、女同士の話から事件の糸口を引き出したり、女湯で不審な女を捕まえたり、捕り縄の腕を披露したりと一話ごとに楽しめた。上役の八丁堀同心の加田三七も脇役として頻繁に登場しており、彼が明治維新後には『捕物そば屋』の主役として活躍するのにつながるのを思うと村上元三の世界の広がりを感じた。☆☆

 

まぼろし燈籠:村上元三、矢島健三・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1642642

https://dl.ndl.go.jp/pid/1642643

桃源社版の挿絵は矢島健三。

 

※タイトルの緋鹿子(ひがのこ)は赤い鹿の子模様の布のことを指すのだが、江戸時代の娘たちが髪結で結綿(ゆいわた)という島田髷を結ったときに髷を飾った布に多く見られたようだ。下記のサイトに伊東深水美人画がある。

4.結綿~ @江戸の日本髪

www.edononihongami.com

 

《お吟は、しろがね小町といわれるだけあって、色こそ少し浅黒いが、下ぶくれの顔に眼鼻立のはっきりした、結綿に結った髪は黒く豊かで、緋鹿子の手柄がよく似合う。》(まぼろし燈籠)

 

《川開きの晩なので、お吟も仕立おろしの縮の単衣、赤い鹿の子の手柄をかけた結綿の髪が、白粉気のない白い顔に似合って、道ゆく人が振返ってみるほどの美しさでであった。》(恋の捕縄)

 

《結綿の髪に緋鹿の子がよく似合う、しろがね小町といわれるほどの器量よしだが、日本橋本銀町の岡っ引清五郎のひとり娘でときどき父親の捕物の手伝いはするし、方圓流の捕縄さばきも心得ているし、男まさりといわれるお吟のことだから、いままで浮いた噂など一度も立てられたことはない。そのお吟が、このごろ、どうも様子が妙な工合になってきた。》(夜叉頭巾)

 

まぼろし燈籠:村上元三、矢島健三・画2

《犬神とは、四国、山陰道あたりにある特殊な血統の家で、その家の者は代々、犬神が憑いていてときどき人間の力ではできない怪しいことをして見せる。》(犬神の娘)

 

《相当の年功を経なくては勤まらない定廻りに、若い加田三七が引きあげられたのは、若年のころは刺青奉行で名高かった、いまの南町奉行遠山左衛門尉景元の抜擢に依るものだという。》(犬神の娘)

 

《いわゆる隅田川の川開きというのは、七月十八日から八月三十日まで川筋で涼み舟が許される期間のことで、その第一日に両国で花火をあげるのが、毎年の吉例のようになっている。一晩に千両の金が煙になる、といわれる花火だけに、その日は暮れる前から大川には舷をぶつけ合うほどの涼み舟が出る。》(恋の捕縄)



※みずすまし亭通信:村上元三。緋鹿子捕物帖

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『捕物そばや』(天狗ばなしの巻)村上元三

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『新編 捕物そばや』 村上元三

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『鬼神のお松』 松林円玉

鬼神のお松:松林円玉

1899年(明32)今古堂刊。

松林円玉(しょうりん・えんぎょく、1866~1940)講釈師。明治後期に多くの口演速記本を出している。二代目松林伯円の弟子で、1889年に23歳の若さで五代目松林円玉を襲名する。のちに改名して悟道軒円玉となり、この名前の方が知名度が高い。若い頃の川口松太郎が寄宿して口述筆記を行ったという。

「鬼神のお松」という名を持つ女性は奥州の山賊の首領として知られた伝説的な人物である。この一篇はその前段までで終えている。お松は江戸の剣術の道場主の娘だったが、父は継母が来た後に風邪がもとで病死する。継母はお松を深川の芸妓として身売りに出し、自分は財産を処分して門弟の一人と共に逃亡する。お松はそこで評判の芸妓となり、その後侠客と夫婦になる。ある時、喧嘩騒ぎから江戸にいられなくなり、夫婦はバラバラに逃げ出すことになる。お松は知人を頼って川越に行くが、そこで継母とその情人に出会い、従前の復讐をすることになる。享保五年十一月二十八日という日付も語られ、筋立てが不揃いな点から見るとむしろ現実味がある。思うにそもそもこの物語は凶賊とは別個のものであり、無理に鬼神お松にこじつけたのではとも推測できる。話としてはほどほどに面白かった。☆

鬼神のお松:松林円玉、作画者不詳。

この明治中後期には講談速記本が非常に沢山出版されていた。「鬼神のお松」の話も何人かの講釈師によって演じられ、それぞれに別の版元から速記本が出ていた。本書の他に揚々舎鶴燕と、田辺大竜のものがある。前者は円玉とほぼ同じ内容で、頁数も同等であるのに対し、田辺版はかなりの大部なので、もっと詳細な話なのかと期待して読み出したが、脱線が多過ぎて、つき合いきれずに中断した。話術と言えども整理整頓は必要だと感じた。

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/889799

挿絵の作者は不詳。

 

Wikipedia 

ja.wikipedia.org

 

 

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『お七と吉三』 舟橋聖一

お七と吉三:舟橋聖一岩田専太郎・画

1946年(昭21)7月~9月、雑誌「りべらる」連載。

1955年(昭30)河出書房刊、大衆文学代表作全集第4(舟橋聖一集)所収。

恋慕する寺小姓の吉三郎に会いたい気持が高じて放火事件を起こし、処刑された八百屋お七の史実をもとに、江戸時代に井原西鶴が「好色五人女」中の一篇として書いていた。舟橋聖一はそれを現代語にリライトしたとも言える。少し前に明治期の口演速記本『八百屋お七恋廼緋鹿子』(*)を読んだばかりだが、お七の事件はそこでは補足的な記述に留まっていた。

 

舟橋版は西鶴の原文を頻繁に引用しつつ、一途に思いつめる女の情念の恐ろしいほどの奥深さを語っている。言い方を変えてみれば「ロメオとジュリエット」の恋人たちの心情に共通するものがあるようにも思えた。終戦直後の雑誌「りべらる」に3回連載された。岩田専太郎の挿絵が何とも言えず美しい。この後に舟橋は『切られお富』の中篇も連載していたが、そちらは部分的でしか読めず、全体を読める全集本も見つからないので断念した。☆☆

 

お七と吉三:舟橋聖一岩田専太郎・画2

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/12851559/1/17

https://dl.ndl.go.jp/pid/1355894/1/154

雑誌掲載時の挿絵は岩田専太郎

 

Wikipedia 八百屋お七

 

*『八百屋お七恋廼緋鹿子』 翁家さん馬

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『男をチチル五人の娘』 志智双六

男をチチル五人の娘:志智双六、田中比左良・画

1951年(昭26)6月~12月、雑誌「富士」連載。

志智双六(しち・そうろく, 1902~1983)についても前回書いた棟田博と同様に、その経歴に関する情報がネットでは見つからない。戦中に書いた「兵隊もの」が古書店でたまに出る程度。終戦直後は雑誌「大衆文芸」や「富士」、「読切倶楽部」などに軽妙な短篇を精力的に発表した。特に「富士」では、1950年6月号の編集後記に「新人志智双六氏の『月下氷人』も、いよいよ出でて、いよいよ面白く独特のユーモアに皆様のお腹の皮をよじらすことでしょう。」と紹介しており、以後寄稿作家の常連として名を連ねていた。ユーモア作家としてアンソロジーには掲載された秀作があるものの、大半の作品は初出誌掲載のまま、単行本化されずに終わっている。

 

ここに取り上げた『男をチチル五人の娘』の連作5篇についても雑誌掲載でしか読めないものだった。京都鴨川女学校の仲良しグループの中で、「恋愛関係になった男はすぐに女の身体を求めようとするか?」という課題の正否をめぐって五人の娘たちがそれぞれ実証実験に乗り出すことが根底となっていた。「チチル」という言葉には微妙な響きがあるが、もとは英語 “titillate”  (チチレイト=刺激する)あるいはフランス語 “titiller”(チチエ=軽くくすぐる)に由来するのだが、戦後一時期、外来語風に流行したのではないかと思われる。娘たちは次々に実証に乗り出すのだが、恋愛は遊戯で片づけられるものではなく、場合によっては相手を傷つけ、人の一生を左右する心理状態に陥るものなので、結果的には実験が真剣勝負になってしまうという展開だった。田中比左良の軽薄に見える男女の姿態の挿画も毎号の楽しみであった。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561695/1/45

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561696/1/121

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561698/1/48

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561699/1/38

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561701/1/38

挿絵は田中比左良。

男をチチル五人の娘:志智双六、田中比左良・画2

『英語の、動詞でチヽレイト、名詞でチヽレイション。日本では、ある地方では、既に ”チヽル” と縮められて、原語の”クスグル” ”楽しく刺激する” ”興をそヽる” ”ほくほくさせる”といふ意味が、”探りを入れる” ”様子を見る” ”味をためしてゐる” といった意味に使はれてゐるさうです。』(1.高尾多佳子の巻)

 

『あんた、まだ知らなかったわね。チヽルって英語で、”相手の気を引いてみる”とか”探りを入れる”とかいふ意味なのよ。たとへば、唐辛子は、からいかからくないか、ちょっとなめてみるでせう、それをチヽルいふのよ』(4.九條邦子の巻)

 

男をチチル五人の娘:志智双六、田中比左良・画3

『感情に基く人間の行為といへば、大概非科学的でせう。あなたに恋愛の経験はあるかないか知りませんが、(…)恋愛結婚を神がかりのやうに謳歌してみたところで、恋愛には何一つ科学的な基準はないのですからね。あんなものは気まぐれですよ。』(3.烏丸加代子の巻)

 

『本によっては、恋愛で最も大切なのは熱で、それも忘我の情熱だといひます。火のやうな情熱だけが、鉄のやうな固い相手の心をとかしもし、氷のやうに冷たい相手の心を沸き立たせも出来る、といひます。しかし、ぼくはそれで失敗しました。「彼女」たちは、ぼくが熱を上げれば上げるほど、ぼくから逃げて行ったんです』(5.桂かつ子の巻)



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『韋駄天弥ン八』 棟田博

韋駄天弥ン八:棟田博

1950年(昭25)4月および6月、雑誌「富士」掲載。

1956年(昭31)東方社刊。

棟田博(1909~1988)は今ではほとんど忘れ去られた作家の一人と思われる。戦中期に従軍中の体験を書いた「兵隊もの」の作品で人気を得て、除隊後は従軍作家となった。戦後しばらく休筆していたが、出生地岡山県津山(美作)の小さな城下町を舞台に、明治末期の人力車夫たちの生きざまと変転を描いたのが表題作である。

 

韋駄天弥ン八:棟田博、田代光・画

弥ン八こと溝呂木弥八とその親友幸助とのコンビが、商売仇の俥屋との対抗戦に闘志を燃やす喧嘩と恋のユーモア・ペーソス篇と簡単に言えば終わってしまうが、作者自身の郷土の風物習慣は生き生きと描かれ、個々の人物の性格描写も見事だった。特に時代の変遷が人心に及ぼす時間差の重みが効果を出していた。

 

韋駄天弥ン八:棟田博、田代光・画2

単行本に併収されている数篇も味わいがあり、特に熱海近辺の漁村が舞台の『殴られる町』では町長のリコール騒ぎで、漱石の「坊ちゃん」を思わせる正義漢の新聞記者や文化人を標榜するキザな赤シャツを思わせる人物の行動描写が愉快だった。☆☆☆

棟田博はその後も「兵隊もの」をメインで書き続けたためか、戦後によって戦中が忘却されていくように置き去りにされたように思う。

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561679/1/16

https://dl.ndl.go.jp/pid/1645281

雑誌掲載時の挿絵は田代光、単行本の表紙絵は風間完

 

韋駄天弥ン八:棟田博、田代光・画3

《まったくの話、誰の人生にしたところが、計算通りに行ったためしはない。というのが、人生行路にはなにせ伏兵が多過ぎるのである。飛んでもない時に、飛んでもない男や女が現われて来て、どうも平穏なるべき生涯に波風を起こす。人間万事、塞翁が馬である。》(金時太鼓)

 

《老先生は、科学者として、神秘を否定する者だが、生命の芽生えだけは、神秘だと思うのだ。ひとつの生命が創造されるということは、男女の性交による所産であっても、それは、それ以上のものだ。そこにいのちが生れたということは、神の知ろしめすところとしか考えられない。厳粛な事実である。》(殴られる町)

 

 

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『紅太郎捕物帳』 土師清二

紅太郎捕物帖:土師清二

1948年(昭23)高志(こし)書房刊。

1951年(昭26)桃源社刊。

 土師清二は昭和初期から戦中、そして戦後にかけて息の長い作家活動を続けた。特に戦後の捕物帳ブームの火付け役となった捕物作家クラブの副会長として(会長は野村胡堂)積極的に関わり、何人もの捕物名人を生み出した。この『紅太郎捕物帖』は当初少年向けの捕物小説4篇として書かれたが、その後桃源社から一般の単行本『紅太郎捕物帳』として、伝七物1篇と単発の別の捕物作1篇を併収して出版された。

 

紅太郎捕物帖:土師清二、山口蒋吉郎・画

 主人公の錺屋紅太郎(かざりや・べにたろう)は八丁堀与力甲賀将介の配下の岡っ引だが、普段は錺職人として神輿や寺社の錺金具を作っていた。弟子の少年長吉と同居していて、事件が起きれば二人で出向いた。長吉には吹き矢という秘技があり、その技が身の助けとなることも多い。江戸っ子の言葉遣いの荒さのせいか、怒鳴ったり、𠮟りつける口調はキツイのだが、長吉は平気で受け流している。隣家の娘おきくも気立てが良く、おおらかで、これも叱られてもめげずに世話をしてくる。テンポの速さと描写の簡潔さが小気味良かった。☆☆

 

紅太郎捕物帖:土師清二、山口蒋吉郎・画2

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/8347162

https://dl.ndl.go.jp/pid/1352844

表紙絵・口絵・挿絵は山口蒋吉郎。

桃源社版の表紙絵は木俣清史。

 

紅太郎捕物帳:土師清二、木俣清史・画

《錺職(かざりしょく)が本職の紅太郎は、その道でも名人といはれ、鏨(たがね)と槌(つち)を持たせれば、江戸八百八丁、指折りの内に数へられる腕だった。》(踊る一寸法師

 

《変屈者で、家は長吉と二人きり、女房もゐなければ他に弟子もない紅太郎だ。何時も家を閉めて出かけるのだった。》(踊る一寸法師



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参考サイト

「捕物帳の作家たち」~捕物作家クラブ展 立教大学図書館

 

 

 

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『鹿鳴館』 富田常雄

鹿鳴館富田常雄

1946年(昭21)8月~11月、雑誌「りべらる」連載。

1951年(昭26)講談社刊、「猿飛佐助」(講談社評判小説全集第5)所収。

1955年(昭30)平凡出版刊、「薔薇の紘道館」(平凡映画小説シリーズ)所収。

1964年(昭39)双葉社刊、「明治の風雪」(双葉新書、時代小説全集13)所収。

 

初出は終戦直後の雑誌「りべらる」に4回連載された鹿鳴館時代を背景にした中篇小説。鹿鳴館は日本が幕末に列強と締結した治外法権等の不平等条約を改正する目的で、日本がいかに西洋風の文化を取り入れるに至ったのかをアピールする施設として建てられ、連日舞踏会やパーティが開かれた。並行して華族令(1884年、明17)も制定され、公侯伯子男の爵位も定められた。その実態は猿芝居、茶番劇にも例えられ、冷やかに受けとめられたようだ。

 

鹿鳴館富田常雄鹿鳴館、林唯一・画

清楚なヒロインの伯爵家令嬢まり子は元々足が不自由で松葉杖が手放せない。バザーで売店を担当するが売れない。貧乏子爵の息子正則が友人と共に訪れ、ふとしたやり取りから気心が通じる。しかし彼女はその放蕩者の友人とすでに政略的な婚約をしていた。上辺とは異なり、西洋風の自由恋愛や姦通はあり得ず、真の恋に目覚めた二人は為すすべなく追いつめられる。悲恋情話と言えばあっけないが、いじらしい。☆☆

 

鹿鳴館富田常雄鹿鳴館、林唯一・画2

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/12851556/1/18

https://dl.ndl.go.jp/pid/1659593/1/124

https://dl.ndl.go.jp/pid/1665859/1/99

https://dl.ndl.go.jp/pid/1672035/1/126

雑誌連載時の挿絵は林唯一。



《新華族令で爵位を与へられ、七歳にして席を同じうしなかった男女関係の禁制が破られ、自由交際が突然に与へられたのである。さながら、禁制品が解除になって売り出された様に彼等は女性に立ち向った。なにがなんでも男女自由交際である。だあから、彼等はダンスを覚え、これはと思ふ女性に接近することだけが生活の全部になりつゝあった。》(鹿鳴館バザー)

 

《だが二人は死にに行く心算(つもり)はなかった。死に襲はれるまでは。そして、死は、別の言葉で言へば死神は不意に人間の心を訪問し、これに抵抗を許さず決定的なものにするのである。》(捨て小舟)



Wikipedia 

ja.wikipedia.org

 

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