明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『猫の巻』 山下雨花

 

1900年(明33)駸々堂刊。題名が面白そうだったので読み始めたが、結果的になぜ猫と付けたのか意味不明。事業投資や株式相場の浮き沈みで人生を翻弄された一家の話が中心となっているが、物語としての筋の組立て方があぶはち取らずで最低だった。途中で挫折しかかったが、独特な主観をくり広げる語り口や、人物の観察眼に鋭いものが感じられたので、何とか最後まで読み通した。画家に例えればテーマのある油絵の大作をまとめられないデッサン画家だろうか。個々の場面場面では印象深い書き方ではあったのだが・・・☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は歌川国松。浮世絵風の美人画だがカラー画像は今のところ見つからない。

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《人間といふ者は、失敗といふ事を喜ぶ性質を持ツて居るものである。他人(ひと)が失敗した話を聞くのは、何よりも最も愉快に感ずるものださうで、独り小寺氏の不幸をのみ冷眼に見過した訳ではない。人間(ひと)は失敗の話を聞いて喜ぶだけ、それだけ成功の話には不快を感ずるのは自然の道理だ。不快を感ずると、自然他人(ひと)に幾分なりと不平を洩らして、せめても多少なりと自分が或る慰籍(なぐさめ)を得やうとするのも、是れ又正に然(しか)あらねばならぬ道理ではないか。》(第二)



《夫言(それ)を半分は聴いて居る如く、半分は聴いて居ない如く、目を天井の方やら、欄間の額の邊(ほとり)やら、硝子越しの庭前(にわさき)やら、其処等中に散らかして宛然(さながら)下手な和尚(ぼうず)のお談義を聞かされて居る年歯(とし)の若い花嫁御(はなよめご)のやうに、絶えず耳を空にしたいような素振を、故意(わざと)らしくして居た主人(あるじ)は、その言葉の終るを待兼ねたやうに、僅かに首を鳥渡(ちょっと)傾けて「成程(なるほど)」と言った。》(第十九)



《世の中に貧(ひん)ほど辛いものがあらうか。四百四病より勝るといふ譬言(たとへ)も偽言(うそ)ではない。もし貧乏といふ事が、人間を堕落さする一番近道であるならば何の事はない。》(第二十八)

 

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