明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『彼女の太陽』 三上於菟吉

彼女の太陽:三上於菟吉

1927年(昭2)7月~1928年(昭3)5月、雑誌「女性」連載

1931年(昭6)新潮社、長編三人全集 第18巻 所収

 

昭和初期にモダニズムの先進的な旗振り役を果たしたプラトン社発行の雑誌「女性」に連載された注目作。若くして病気で夫を亡くした女性が文才を認められ、女流作家として歩み出す。しかし自分の人生に男がいない孤独感から、女性遍歴で悪名のある劇作家と交際を始め、恋情を抱くに至る。しかしその男が別の女と交際する現場を目撃した場所で彼女は昏倒する。それで冷静に身を引くかと思いきや、むしろその女から男を奪い返そうという意欲に掻き立てられ・・・。男は女を、女は男を求めざるを得ない性衝動の心理を女性の視点で描いている。当時の文壇の内部事情や出版社の実態を模写した描写も興味深かった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1566338/1/161

https://dl.ndl.go.jp/pid/1179292/1/6

雑誌連載時の挿絵は太田三郎だが、描かれた男女の姿態は軽窕浮薄に見える。

 

彼女の太陽:三上於菟吉2

「藤原はこれまで一字だって、自分のため以外には書かなかった――自分で書きたいと考へる以外には書かなかった。ところが、ジャーナリズムはそんな文学は求めてゐないからね。ジャーナリズムが求めるのは、他人(ひと)を面白がらせるための文学なのだ。どんな時代だって、自分の世界ばかりを自分にばかり面白い書き方で書いたところで、それを文学として歓迎した事実はなかったらふと思ふ。」(5、不幸な中年作家)



《私も何といふ気の弱い。どうしてこんなに早く、今まで見知らなかった男の方へ心を寄せかけやうとしたのだらう? 恰度(てうど)たった今日田舎から出て来たみよりもない娘が、行き暮れた公園のベンチや盛り場で、つまらない男に誘拐でもされるやうに、何の反省も研究もなく、出鱈目に男に凭(よ)りかからうとするなんて、全く恥辱だわ! そんなことで、どうして女一人で世の中に立って行く事が出来るだらう! お前は馬鹿よ!》(7、風聞)



《すると、あまりの空虚さが、言ひ甲斐のない寂寞で、胸の心(しん)をチカチカと噛みはじめた。前に言ふ通り、彼女はやっぱし女だった。倒れかかった時に、どんな朽木にしろ、つッかい棒なしでは悲しがらずにはゐられない女だった。》(7、風聞)

 

彼女の太陽:三上於菟吉3

Wikipedia 

ja.wikipedia.org

**女性 (雑誌)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)

「クラブ化粧品」の中山太陽堂(現クラブコスメチックス)傘下の出版社「プラトン社」が、大正後期に発行。

 

雑誌「女性」1928.04 プラトン社:山六郎

《社の名前はいかめしげな、女嫌ひらしい哲学者のそれを用ひてゐたが、そこから出る雑誌は文芸中心の婦人雑誌や娯楽雑誌で、社員たちも美と新奇とを考案し調理するにふさはしい、いかにも新時代的な人達だった。》(2、丸ビルで)(本文中ではソクラテス社という名前で出てくる)

 

 

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