明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『ノア』『三界萬霊塔』 久生十蘭

ノア1

1950年(昭25)2月~4月 雑誌「富士」連載。『ノア』

1949年(昭24)7月 雑誌「富士」掲載。『三界萬霊塔』

 

 戦後に復刊したと公言する一般大衆向けの文芸雑誌「富士」は国土の復興を目指す人々の旺盛な読書慾を満たして大いに販売数を伸ばした。版元は世界社と称したが、戦中期の「キング」改め「富士」を出していた講談社からその書名だけを譲り受けたのかもしれない。(「キング」は「キング」として戦後復刊していた)

富士(戦後)

 久生十蘭の作品の根底には暗い流れを感じる。あまり楽しい結末は見えず、救いや報われさえ期待できない空恐ろしさで身震いする。この異色中篇『ノア』も衝撃的な内容だった。

 戦時中海外で暮らしていた邦人を輸送船に乗せて帰国させたところから始まるが、親米感情を持っているだけで処罰すべき対象とされ、主人公の親族は次々と不審死に見舞われる。特高警察や憲兵隊による目に見えない所からの圧力は、現在のロシアでの反政府見解を抹殺する活動に共通する。物語の後半には、インドネシアからの輸送船が嵐で難破し、兵員が大きな筏で漂流する。照りつける太陽の下の熱帯の海でまったく救援も無く、人々は狂気に陥り次々と死んでいく。描写は兵団の動向まで詳細に述べられ、著者の実体験も反映しているような迫真性があった。読んで快いという代物ではなかった。☆☆

ノア2

中篇『三界萬霊塔』も戦時中のインドネシアで、真珠の採取を競うグループ間の闘争から大規模な殺戮に発展する人間たちの獣性と欲望の醜悪さを描く。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561676/1/17

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561669/1/46

挿絵は「ノア」が松野一夫、「三界萬霊塔」が生澤朗。



ノア3

『あなたがアメリカにたいしてどういふ感情を持ってゐられようと、それが心の中であるかぎり、外部からはどうしようもない。(…)法は行為について発動するのが原則で、さういふものまで捕へないのが法の建前になって居りますが、日本では、思考も一つの行為だといふことになって、その点に不満があれば、容赦なく処罰することになってゐます。内地の事情をご存じないと思ふから、ご注意までに申しあげるのですが、行為だけが罰せられるなどとお考へにならないやうに』(最初の査問)



『ともかく、この国では、なんとまァ簡単に人間が消えてしまふこッてせう。二年ぐらゐ前までは、憲兵がやってきて、家族の眼の前で引ッたてて行ったものですが、この頃は出先や通勤の途中をねらって、こっそり持って行って、それっきり……わづかな間に、私の周囲でも、いったい何人の人間が消えたもんだか』(帝国憲兵隊)



『戦争もかう長くなると、自然と士気が低落して、どの部隊にも、窃盗や脱柵の常習者、上官侮辱、飲酒過度、軍規紊乱者……軍法会議へ送るやうな軍事犯までむやみに出てきましたが、実施部隊には営倉なんてものもないし、内地へ送還したいにも輸送の便がない。しようがないので、みな原隊所属のまま放任してありますが、どの部隊でも囚徒兵と不良下士官の始末に困ってゐるんです。』(ノアの方舟

 

ノア4

 

《自然界では、見えないところで無量の殺し合ひをしてゐるが、かつて刑罰を受けたことがない。われわれがマライタ島でやったことの百倍もひどいことをして、なんの改悔(かいがい)もなく、後生安楽な月日をゆったりと送れるといふのはいったいどうしたといふわけか。いふまでもなく、良心や、ちっぽけな内心の声にめげず、自分のしたことは、それがなんであらうとみな正しいといふ悟りの中から無限の力をひきだすからだ。良心であらうと神であらうと、自分がひそかに頼ってゐるものを敵に見破られたら、そこを突かれて倒されてしまふ。》(三界萬霊塔・五)



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