明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『匕首芸妓』 渡辺黙禅

 

(あいくちげいしゃ)1911年(明44)樋口隆文館刊。前後2巻。前半は華族令嬢一行4名の旅行客と見せかけた詐欺窃盗の一味の鮮やかな犯行と逃避行を塩原・那須の風光明媚な景勝描写とともに描いている。しかし後半は秩父困民党事件での実在した人物たち(田代栄助、加藤織平、落合虎一/寅市)の動静を詳述している。二通りの物語の要素を結合させたのは作者黙禅の手腕でもあるが、騒乱の後日談も含めると主人公役の視点が浮動的なのが少々気になった。いつものように登場人物の多さとスケールの広さでは読み応えがあった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。口絵は長谷川小信。

https://dl.ndl.go.jp/pid/887912

 

 

《浴餘(ゆあが)りの洗ひ髪、烏玉(ぬばたま)の漆とばかり艶(つやや)かに匂ふのを鬖々(さらり)と肩に流して、薄化粧の澤々(つやつや)しい横顔に振かゝる縺れ毛を、地烈(ぢれつ)たさうにしなやかな指でかき上げてゐた。川風に吹捲(ふきまく)らるゝ縮緬の浴衣を気にして、塗柄(ぬりえ)の団扇を下に翳(かざ)しながら、褄(つま)模様の秋草を抑へてゐる風情などは、一入(ひとしほ)の佳趣(おもむき)があるやうに》(前編・七)

 

《元来が君、我々の霊魂からして不思議ぢゃないか、不思議な霊魂だとすれば、死後までも其の不思議を現はすのが、別に不思議ではなからうさ、我々の教にも三界唯一心と云って、無量劫来一念の因果が流転することを説いてあるぢゃないか》(前編・五十五)

 

《坊主商売が可厭(いや)になったのぢゃ。凡て浮世は色と酒、三世利益同一体の極楽浄土が、眼と鼻の先にあるのに、電光石火五十年の短かい命とも知らず、ヤレ過去が辷(すべ)ったの未来が転がったの、ソレ菩提の牡丹餅毛が生えて、涅槃のお寝小便に布団を汚した、といふやうな七面倒くさい御談義をして、爺さんや婆さんに有難涙を飜(こぼ)させたところが、根が凡夫ぢゃから、時々煩悩も起るわい。》(後編・十六)

 

《午後まで霧のやうに吹飛んでゐた時雨は、名残なく痕を収めた。山の上に又山が重なって、紅葉や楢や黄櫨(はぜ)の色もなく、只真黒な輪郭に包まれ、沈んだ雲の白い腰衣ばかりが際立って見える。尖鎌(とがま)に似たる磨ぎ出したやうな月影を浮べ、寒さうな響を曳きながら、枯葦を揺(ゆす)って流れて行く千曲川は、粛殺(しゅくさつ)として深山の冬を、信濃の平原へ運ぶのである。微灯(ほのあかり)の凍るが如く、幽(かす)かに林を洩れて見える後の村から、裂けるやうな犬の遠吠えが聞えて来る。》(後篇・四十七)

 



*参考サイト

1)田代栄助 wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%BB%A3%E6%A0%84%E5%8A%A9

 

2)秩父事件

http://www2j.biglobe.ne.jp/~mkshp/ttb/ttb.html

 

 

 

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ