明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『相川マユミといふ女』 楢崎勤

 

1930年(昭5)新潮社刊。新興芸術派叢書第22編。楢崎勤は作家である傍ら雑誌「新潮」の編集者でもあった。この本は表題作の他23篇を収める。都会に生きる孤独な女性の生きざまの寸景の集合体と言える。昭和初期のダンス・ホールで来客の相手をする踊り子として働く女性が多く描かれる。現在からみればどうでもない単語を伏字にしている。何の事件が起きるわけでもないし、結末がある話でもないが、原稿用紙数枚の短さで、読みやすさと共に不思議な味わいをもたらしてくれる。☆☆☆

 当時、プロレタリア文学の流行に対抗するべく「新興芸術派」と呼ばれる自由なモダニズム表現を目指すグループの動きが見られたが、川端康成井伏鱒二横光利一阿部知二尾崎士郎舟橋聖一なども加わっていた。新潮社から叢書として24巻出版された。その広告および広告文も興味深い。(下記参照)

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1179068/1/135

 

《茉莉くらゐの年頃の女は感情が正しく発育してゐないと思った。それは、或る一つの事に関しては、完全に総てを知悉してゐながら、ある一つの事に就いては、無智に等しい考へしか有(も)ってゐなかった。この背中合せの感情が茉莉にもあった。Jは、その二つの感情の縺(もつ)れを絶えず見てやらなければならないやうな気がした。》(R・共和国)

 

《海水着を透(とう)しての茉莉の肉体の輪郭が、もう十分に彼女の成熟してゐることを見せてゐた。肉体の成熟は、また精神の成熟をも示さなければならなかったけれども、しかし、茉莉自身は、肉体の成熟も、精神の成熟も、自分自身では気付いてゐないといふ風でゐた。》(妬ましい遠景)

 

 

《こゝにはマルキシズム文学に於けるが如き固型化は見られない。十人十色、肆(ほしいま)まにそれぞれの賦性(ふせい)を発揮して、多彩絢爛の芸術世界を展開してゐる。我等が芸苑には今や新しい春が来たのだ。激しい時代の風霜を凌いで、いみじくも咲き出でたる美花異花の芳芬(ほうふん)に酔はんとする者よ、来って此の叢書に就け!》(巻末:新興芸術派叢書の広告文)

 

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