明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『血染の短刀』 三品馨園

血染の短刀:三品馨園

1917年(大6)樋口隆文館刊。

三品馨園(みしな・けいえん、1857~1937)という明治大正期の作家については検索してもあまり情報が得られない。わずかにGoogle Books で明治期の文芸回想集等のいくつかに記述が見られた。

「三品は蘭湲(りんけい)と号し、柳条亭華彦(りゅうじょうてい・はなひこ)、本名は三品長三郎、別名芳馨令蘭湲、馨園(けいえん)、安政四年一月江戸浅草に生る。大学南校、工部大学何れも半退学、明治十三年頃電信技手を辞し柳亭種彦(藍泉)の門に入り、その後諸新聞を経て東京朝日に入る。明治十六年より同二十七年の…」(「部落問題文芸作品解題」より)

という記述が一番詳しかった。明治中期の26歳から36歳までは、柳条亭華彦または三品蘭湲の名前で戯作者として多くの作品を残した。その後言文一致運動や明治文学が確立するとともに他の戯作者たち同様、文壇から消え去ったと思われた。しかし彼に関しては60歳を過ぎた大正6年になって、今度は三品馨園の名前で小説作品を旺盛に出版し始めたのである。版元の樋口隆文館の広告の紹介文には、

「三品馨園君は我文壇に於ける先輩元老であるが、其性恬淡、売名を念とせざりしが為め、其名声と実力とが未だ世間に知られざりし実に隠れたる現代大家の一人である。」

とある。『血染の短刀』はタイトルから推測すれば明治中期以降に流行した探偵実話もしくは探偵小説を思わせるが、殺人事件はなく、社会通念上の復讐小説だった。売らんが為のタイトル名だったかも知れない。

強欲と傲慢に満ちた高利貸の家にあえて好き好んで下女として入り込んだのは、育ちのいい令嬢まがいの一人の美女。その裏の事情は最後まで伏せられるが、彼女は巧みにその家の住人に取り入り、高利貸本人の他、その財産を狙う後妻、それと結託する家令、居候の甥など個々の悪企みの思惑の隙を突いて混乱を生じさせて行く。法律では処罰できない社会悪をいかに裁くか? 作者は戯作時代の教訓的な勧善懲悪思想を、世相の発展と共に上手に変容させて、改めて大正期の読者に提示できたのだろうと思う。地の記述文体では漢文調の美文表現が残されているが、それも一つのスタイルであり、会話文の口語体との対照的なリズムが感じられた。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/919394

口絵は笠井鳳斎。

血染の短刀:三品馨園2

《受地仕入れのひねくれたる赤松二三本、春日形の石灯籠、訝(おつ)に気取りたる栞門の建仁寺形に沿ひて、独り時得顔に咲き誇れるつや蕗の花ものものしく、鉢前の青苔、新樹の刈込み、手入れ隈なく行き渡りて見ゆれど主人の好みか、棠駝師(うえきし)の手任せか、何や何亭など呼ぶ、待合茶屋の入口擬(め)きし、蘆嶋家の奥庭構へ、斜陽(ひかげ)すでに母屋の棟に没(かく)れ晩(ゆふ)鴉たかく飛びて寝ぐらへ急ぐ頃、その吹く涼風(すずかぜ)に裳裾(もすそ)ほらほらと吹かせながら、おだいは人待ち顔の様子にて、栞門の側に佇立(たたず)み居りぬ。》(三二)



「だって。能く考へて御覧なせへ、何ぼ田舎女にした処が、那(あ)れ程な標致(きりゃう)を持ちながら、此家へ御膳焚きなんぞに住込んだのが第一変な訳ぢゃァ有りませんか。(…)起居(たちゐ)の優(しと)やかな事といひ、人品(ひとがら)な様子と言ひ、何処へ突き出して評価(ねうち)をさせたって立派なお嬢さんとしか、思はれ無い程だのに、嗜好(すきこの)んで仕て居るのは如何も不思議な次第だから、種々と考へて居たのですが、不思議なのもその筈さ、那奴は尋常者(ただもの)ぢゃァ無えので、」(三二)



《人、得意の時に在りては、我意我慢も好く徹(とほ)り、無慈悲、非道もまた夫(そ)れほどに目立たず、唯だその時の勢ひに任せて、心のまゝに挙動(ふるま)ふべけれど、漸く失意の折に及びては、それが為めに我れと我が罪悪を責め、人知れぬ畏罹(ゐく)の念、絶へず自己(おのれ)を悩ますこと多し。》(五一)



「この金匣(かねばこ)に入って居る夥多(あまた)の紙幣その他貸金証書等は、いづれも皆な、不義、不徳、残忍、非道の塊物(かたまり)であります。アゝこれが為めには世間の幾百十人が、何れ程難儀困窮を重ねたか知れますまい。中には自殺を遂げた者、一家離散に及んだ者、今尚ほ怨恨(うらみ)を啣(ふく)んで諸所を彷徨(さまよ)ふもの、子を棄てた親、本夫に離れた妻、苦界に身を沈めた娘、孤児院に露の性命を繋ぐ小児、斯様な者が沢山あります。それと言ふも、原因(もと)を糺せば、飽まで我が強慾を充さんとした、唯だ一人の不正手段から起ったことなので併し法律はこれを制し得ない、表面の不正は兎もかくも、深い裏面の不正に立入る程の機能(はたらき)を持ちません。ですから、不正不義の金力が、誰れ憚らず、ますます世間を毒するやうに成る。妾(わたく)しはそれを甚だ悪(にく)みます。いえ、それが妾(わたく)しの讐敵(かたき)です。今貴君(あなた)の助太刀を願って、こゝにその讐仇を討つのであります」(五四)

 

三品馨園



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