1898年(明31)1月~6月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行。連載17回以降欠号。
明治期における「稲妻強盗」あるいは「稲妻小僧」という呼び名は、犯行の素早さ、逃げ足の速さなどの強盗に対して普通名詞のように使われた傾向が見られる。ひょっとしたら江戸時代からそう呼ばれていたのかもしれない。強盗凶悪犯として最も有名な稲妻強盗・坂本慶次郎が逮捕されたのは、1899年2月のことだった。しかしここで語られる凶悪犯・大島敏雄とは時期が異なり、人名も別である。序詞(下掲)によると彼はその2年前の1897年(明30)2月に28歳で死亡している。この物語は警視庁刑事だった八田仙三郎による記録を土台に記述した探偵実録の形式を採っている。
生みの両親を早く亡くし、継母のもとで育った姉弟は、生活に困窮して姉が娼妓に身売りされ、弟は家を追い出される。弟は姉を頼って上京し、娼楼で下働きをして暮らす。彼が犯罪者の身となるにあたっては、持ち前の正義感、義侠心がありながらも、自身が生活苦にあえぐ境遇であることと、悪徳高利貸や財産の横領を図る番頭への強い怒りなどが引き金となっている。また一つの仕事の途中にまったく別の問題に出くわすという、畳みかけるような状況の切迫場面も続出する。叙述は講談風で読者を引き回す力があるが、もつれた糸のように解明が追いつかないほどになってしまう嫌いがある。(連載はデジタル収録が中絶)☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1601416
雑誌連載の口絵および挿絵は楊斎延弌または延一(ようさい・のぶかず)
※付記:明治時代の新聞記事にはその他別人の「稲妻小僧」が掲載されている。