明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『大岡政談お富与三郎』 邑井一

1896年(明29)天野高之助刊。同じ版型で1902年(明35)に日本館からも出ている。江戸時代から歌舞伎や絵草紙で何度も取り上げられた話で、明治の講談筆記本でもこの邑井一(むらい・はじめ)の他、松林伯円、玉田玉秀斎、春錦亭柳楼らが競って口演した類書が出版された。「大岡政談」の頭書だが、絵草紙のタイトルを踏襲しただけで、大岡越前は出てこない。配下の同心石田幸十郎が最後の審判を下す。大岡の名前が入っただけで客の入りも、本の売上も増えたからだろうと思う。芸者上がりの人妻お富と大店の若旦那で美男の与三郎との道ならぬ恋路ゆえに人生を踏み外していくという話。邑井一の口説は流暢かつ軽妙で、落語家の語りに近く、引き込まれる魅力がある。とくに雷雨で軒先に雨宿りをした商人を巧みに家に呼び込み、激しい雷鳴を避けようと蚊帳を吊った室内に誘い込んで美人局(つつもたせ)に陥れる一段などは面白かった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は笠井鳳斎、表紙絵は茂木習古。

dl.ndl.go.jp

 

 

《玄冶店(げんやだな)へ来て見ると片ッ方が格子作り、右の方が黒板塀、御誂への見越の松、》(第六節)



《エゝ相替らづ嬌(なまめ)きましたるお物語りて恐れ入りますが、併し勧善懲悪の講談、世の御壮年の観客諸君(みなさん)此講談は粋だ面白いと御見(ごらん)なされず、女に迷ふ者は皆行末は斯の如く與三郎の様である、アゝ謹んでも猶(なお)謹むべきは色情であると斯ふ御考へ下されば此小説も強(あなが)ち風紀を紊すやうなるお話しでも御座いません。相変らず御愛読の程を本屋の主人に代って述べて置きますが、》(第九席)



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