明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『奇遇魯国美談:改良小説』 大石高徳・訳

 

1887年(明20)金松堂刊。維新後20年経過して世情が安定してきた頃に、西欧思想を一般国民に教化させる目的で多くの翻訳物が出版された。この小説もその一つで、ロシアに住む三兄弟がナポレオン軍の遠征によって離れ離れとなり、多くの艱難の末にシベリアで再会を果たす物語。原作者はフランスのドンベイ氏及び男(Dombey et fils) と表記しているが、この名前はディケンズの小説『ドンビー父子』以外にはどこにも見つからない。しかもディケンズの作品はこの小説の内容と一致しない。訳者の大石高徳は文法書も著した黎明期の仏語学者で他にも訳書がある。訳文は旧来のままの堅苦しい漢文調(下記用例)だが、日付が詳しく明記されており、事件の経過にも夾雑物が混じって、実録に基づいた作品と思われる。その軌跡だけでもユーラシア大陸を一周する大冒険譚として読了した。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵は作者不明。原著の石版画の複写と思われる。

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《むしろ財(たから)なく位(くらい)なくも実義(じつぎ)の存する人に嫁し、永く苦楽を共に為(なし)たき心得にて候と云つつリエーを僅(わづか)に見やり首(かうべ)を垂(たれ)る殊勝さは定(さだめ)てリエーの心中に非常の感(かんじ)を與(あたへ)しなるべし。》(第七齣)

 

1812年仏帝那翁(なおう=ナポレオン)一世大軍を駈(かけ)て露国に遠征を試みたる際、同国に於て情海の波瀾* 中に湧出したる一奇譚にして、一度巻を繙(ひもと)く時は其(その)興味よく読者諸君の情緒を容易に左右する稀類の小説なり、殊に脚色文字共に佳妙なり。請ふ一読あらん事を。(版元広告文)

 

*《情海波瀾》明治前期に自由民権思想とナショナリズムの精神を普及させる目的で書かれた一群の傾向小説を指す。(ことバンク)

 

 

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