明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『遠い青空』 牧野吉晴

1956年(昭31)東京文芸社刊。

1951年(昭26)1月~1952年(昭27)6月 雑誌「婦人生活」連載。

 

 戦中から戦後にかけての混乱期における相思相愛の男女を翻弄した運命の行き違いと愛情の純化を描く。両親の急死で孤児となったヒロインの知恵子は、唯一の身寄りの叔母を訪ねて釧路へ向かう途中、スリに遭って財布と切符を奪われ絶望する。偶然同じ車席にいた茂也の助けで旅を続ける。彼は軍隊に召集されていた。そしてビルマ戦線で死地に直面し、誤って戦死の報が届く。知恵子は道内を転々として苦しい生活を続けるが、彼の死を知らされた後はその思いを心の奥底に秘めて修道女のような心で生きようとする。その後… 婦人雑誌の連載だからとか、「昼メロじみた安易さ」とかは、終戦直後の人々にそんな余裕はまだ無かった。もっと生きることに真剣だった。所々に人々の善意が示される描写に心地よさを感じた。☆☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用

https://dl.ndl.go.jp/pid/1645098

https://dl.ndl.go.jp/pid/2324877/1/70

雑誌連載の挿絵は富永謙太郎。(雑誌連載には欠号あり)

 

《家もなく、職もなく、旅を行く身の慰めは、国破れた山河の、美しく映ゆるたたずまいのみだった。》(渡り鳥)

 

 

《新聞は、毎日のように、外地からの引揚げについて報じていた。終戦当時、軍関係者約三百四十二万、一般邦人三百三万名と推定された。東亜及び南方在住の日本人の引揚は、一九四六年(昭和二十一年)三月、(…)急速に促進され》(破船)



《それは、地上の恋の最後の段階であった。実ると実らぬとにかかわらず、洗いつくされた人の心の真実(まこと)に咲く、散ることのない清らかな恋の花だった。》(地の涯まで)




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