1947年(昭22)1月~1948年(昭23)5月 雑誌「苦楽」連載。
1948年(昭23)大日本雄弁会講談社刊。
倒幕が成就し、明治維新となった直後の鞍馬天狗の後日譚。江戸は東京と改称され、徳川家は駿府に移り、旗本・御家人の多くはそれに付き従って移住した。人口は急減し、広壮な武家屋敷は荒れ果てた空き家となった。士農工商のうちの武士階級のみが失職するという社会秩序の大変動が起きた。その混乱期の明治元年の東京に、役目を終えた鞍馬天狗こと海野雄吉が若い書生たちと模索の日々を送る。食い詰めた旧旗本の不平武士たちが商家を襲うのも頻発するが、官軍の治安維持も方針が定まらない。武士の時代は終ったのだが、その先が見通せない混沌とした状況を作者は描いている。鞍馬天狗の活躍も、剣戟の場面もほとんどない異色作と言える。執筆時期が第二次大戦の終戦直後であり、旧体制の崩壊というタイミングが合致していたと思える。来たるべき未来へのかすかな希望が見える点では共通していたかもしれない。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/3546606/1/102
https://dl.ndl.go.jp/pid/1702999
挿絵は岩田専太郎。
「さうだらう、君たち。昨日の狂人染みた攘夷論者が、けふは、けろりとして開化論になってゐるぢゃないか。幕府は倒さなければならなかったけれど、世の中の成り行きを先まで見とほしてゐたのは、幕府を倒した薩長の人間よりも、反って幕臣の中に多かったやうだな。私なんかも、わからなかった方の人間の一人さ。」(窓の男)
《幕府を倒すのが、今日まで、悲願とも云ひ得るほどの盲目で強い熱情だったのだ。それが、出来てしまふと、これしきのことかと云ふやうな、あっけない感情がどこから湧き、一代の願望と信じて来たものに、まだ大きく足りなかったものがあるやうな不安を俄かに知って、動揺したのである。(…)全部のものが不安定でゐるせゐもあらう。それでゐて、正しく維新が成立したことには間違ひない。》(水の上)
「腰に両刀をさしてゐれば、喰へたと云ふのが、よく考へて見れば奇怪なことぢゃないか。強盗と紙一重の相違さ。いや、ほんとうだらうぜ。百姓町人を力でおどかして世間を渡ってゐる点で、どこが違ふ? 無法な話だよ。瓦解で、その通力が利かなくなったのは、倖せと見てよいのだ。」(流れ星)