明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『唐人お吉』 井上友一郎

唐人お吉:井上友一

1949年(昭24)11月~1950年(昭25)雑誌「改造文藝」連載。

1952年(昭27)講談社刊。講談社評判小説全集 第10巻所収。

 

唐人お吉:井上友一郎2

 幕末の動乱期に、下田に開設された米国総領事ハリスのもとに妾として通った唐人お吉の波乱の生涯を描く。唐人という呼び名は、鎖国が続いた江戸時代の庶民たちにとって、あらゆる異邦人に対するもので、彼らに身体を売る行為は奇異な目でさげすまれた。お吉自身にとっても好んでそうしたわけではなく、半ば国難を救うためという大義名分と、恋人に棄てられた自暴自棄からと作者は語る。お吉はまだ若い、気骨のある芸妓で評判だったが、憂さ晴らしに酒浸りで酩酊することが常態化する。赤線香をかみ砕き、保命酒をギヤマンのグラスで飲みふける姿は印象深く描かれる。後年、思い続けた鶴松と世帯を持ち、幸福な生活を送ることになるのだが、再び酒席に引き摺られ、悪癖がぶり返したとなると破滅型の人生は救いようがなくなる。これも悲劇の一生だったのだろうか。☆☆☆



国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/11206083/1/36

https://dl.ndl.go.jp/pid/1352919

雑誌連載時の挿絵は木村荘八

 

唐人お吉:井上友一郎3

「きち。――解ってゐる。そちは罷り間違へば死ぬ気であらう。この伊佐とても、きちの立場に身を置けば、意地と情け貫くために、潔くわが手で果てるかも知れないのだ。しかし、きち、よく考へると、死ぬは一時だ、行き抜くことが人間の宝だぞ。」(第三章 あけがらす)



《謂はば、わが心が、わが心をあざむいてゐる――真実は何處にあるのだ。おきちの心は二重仕掛けだ。おきちは、もとより柿崎の玉泉寺へなど死んでも行かうと考へてはゐないのだった。けれど、それを根底からぐらつかせた第一撃は、あの優柔不断の鶴松のおのゝきである。(…)恋してはならぬ者を恋したむごたらしい悔恨が、いまや彼女の人生を雪崩のごとく圧しつぶし、抹殺するかの痛ぶり方で、おきちをキリキリ舞ひさせてゐる。》(第四章 夢の泡雪)

 

唐人お吉:井上友一郎4

《世間を捨てたおきちにとって、国家も公方さまもないわけである。やれ国難の、国家の大事のと云ふけれど、それは悉くおきちには無縁のことだ。(…)おきちの不幸も仕合せも、すべて外界から絶縁されたおきち一人の身のうちで生起してゐる。》(第六章 ひとり寝)



《おきちは、コン四郎が恋しいのである。自分の青春を埋没させた当の相手であったけれで、いま、このやうに、そこから自在に解放された身の虚しさを考へると、むしろ一種の呪縛に遭って、わが身を哀しい情念で捉まへてゐた日が、どんなに満足だったか知れやしない。》(第八章 誰が袖)

 

 

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